「有事」の狙い―識者と考える (6)

「軍隊は住民を守らない」

大田昌秀さんと沖縄戦


 おおた・まさひで 1925年、沖縄県生まれ。早稲田大学卒業後、米国シラキューズ大学大学院に留学。琉球大学教授を経て、90年から沖縄県知事を2期、務める。参議院議員。著書に「醜い日本人」「沖縄の民衆意識」など多数。
 大田昌秀前沖縄県知事は、夏休み返上で、秋の臨時国会で予想される本格論戦を前に「沖縄から見た有事法制」の執筆に取り組んでいる。

 「地上戦によって一般住民9万4000人以上が犠牲になった沖縄は、戦争の怖さを知っている。この悲惨な体験から『軍隊は住民を守らない』と思っている。日本本土の人にはそれが分からない。今度の有事法制だってどう住民を避難させるか、住民の安全を守るか、具体的には何も書いていない」

 大田さんは1925年、沖縄に生まれた。沖縄師範在学中に沖縄戦を学徒兵「鉄血勤皇隊」として体験。学生時代、戦前の教育をたたき込まれた大田さんは「国のために命を捧げることは当然」「太平洋戦争はアジアを植民地から解放する聖戦」と信じ、「忠良の臣民」として沖縄戦を戦ったが、そこで見たのは日本軍同士が殺し合い、日本軍によって住民の食糧や水を奪われ、避難壕から追い出される住民らの姿だった。「沖縄では軍隊に豚を強奪された農民が抗議したら逆に殺された」「兵舎に充てるために校舎を接収し、子供たちを教室から追い出した。地区公民館や民家も、宿舎や食糧倉庫、慰安所に変じた」「スパイの嫌疑をかけられて虐殺された住民もいた」。沖縄戦の記録で語られるのは、米軍の恐怖よりも、むしろ日本軍に対する恐怖なのである。

 大田さんは小さな島の中で、多くの非戦闘員が戦火に巻き込まれ、犠牲になった沖縄戦の悲惨な歴史を振り返りながら、 「いったん有事になった場合に、1億人余りの生活とか、命を、どういうふうに守るのか」「軍事力で守るということが本当に可能か」と厳しく問いかける。沖縄は、エネルギーのほとんどを中東はじめ世界各国に頼っており、生活必需品の80%を県外から入れている。むしろ、海上を封鎖されたりすると、敵軍が上陸しなくても自滅する道しかない、と言う。

 「第2次世界大戦末期、長崎と広島に原爆が投下されて、日本は無条件降伏し、敗戦した。しかし、その当時日本は内外にまだ約800万人の軍隊を持っていた。これだけ強大な軍事力を持っていても、日本は戦争に勝てなかった。このことを肝に銘ずべきだ」

 大田さんは、戦争は天変地異のように、ある日突然起こるものではない、それによって利益を得る勢力が、いかにももっともらしい大義名分をかかげ、長い時間をかけて、周到かつ巧妙に準備をすすめた結果起こされるものと確信する。その意味でもメディアが流す「朝鮮有事シュミレーション」の内容は「無責任であり、世論をミスリードするもの」だと批判する。

 大田さんは3年前、沖縄の各界の人々130人を率いて、平壌を訪れたときのことを鮮やかに記憶している。「コンサートの度に朝鮮民謡アリランを歌い続けている喜納昌吉さんも一緒だった。平壌の人たちは戦争中同じような苦痛を嘗めた沖縄の人たちを特別に歓迎しますと、温かく迎えてくれた」。一番驚いたのは、平壌には日本各地の市民や女性たちが数多く訪れ、日常的に多彩な交流を結んでいたことだった。

 「戦争中、ろくに情報も持たないまま鬼畜米英と言われてそのまま信じてしまった状況があった。朝鮮については、そのようなことがないように、自分たちが現地に行って、人々と触れ合い、生き生きと交流している姿を見て感動した。こうした積み重ねによって、信頼関係を結び、軍事力に頼らない『人間の安全保障』を築くことだ。学術、文化、経済などのあらゆる分野で誠意をもって人間性にもとづく交流を深めることこそ、21世紀に朝鮮半島と平和な隣人関係を結ぶ近道となるだろう」

 沖縄戦の教訓は、軍隊が住民に対し、あれこれ命令できる自由と権限を手にしたときの恐怖である。「沖縄で日本軍が行った悪夢の再来となる有事法制を、絶対に許してはならない。21世紀を生きる若い世代にわれわれと同じ苦しみを与えてはならない」というのが大田さんの譲れぬ信念である。(朴日粉記者)

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