春・夏・秋・冬

 早朝、散歩をしているとセミの抜け殻とともに死骸があちこちに散乱している光景に出くわす。8月に入り2、3日頃からとくに目につくようになったような気がする

▼そのセミを餌にしている鳥たちの多いことに驚いた。スズメはいうにおよばず、壮観なのは烏である。一羽がセミを追い立て、もう一羽が追いたてられたセミを狙う。追いたて役と狩りをする役、その役割を周期的にバトンタッチしているようだ。早朝の、とくに樹木の生い茂る公園などは、セミの阿鼻叫喚の場と化している

▼こんな話を書いたのは、確か漫画家の手塚治虫氏だったと思うが、敗戦末期、六甲の山中で虫を追って遊んでいる時にふっと、空腹に襲われ、手の届く位置に止まっていたセミを見て、「食べられないのかな」、と思ったということを何かで読んだ覚えがあったからだ

▼食糧難というより飢餓状態にあった当時、口に入るものは手当たり次第に食べたという話はよく耳にする。今では敗戦の8月15日、戦争の悲惨さを伝えようと水団を食べる催しなども行われているが、飽食の時代、一般食としても定着してしまっている

▼6日は広島に、そして9日は長崎に原爆が投下された日である。原爆の惨禍はいうに及ばない。しかし、その惨禍に言及される陰で、57年が過ぎた今もなお、朝鮮には放置されたままの被爆者たちがいる。核廃絶は当然のことだが、日本に強制連行、徴用などで連行され被爆を余儀なくされたわが同胞たちの問題は、明確に日本の戦争責任であることを忘れさせてはならない。(彦)

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