山あいの村から-農と食を考える- (1)

稲の穂が出はじめた

佐藤藤三郎


 稲の穂が出はじめた。畔道を歩くと稲の花が放つ香ばしい香りが心地よく匂う。私はその香りがすごく好きでこの日の来るのを毎年待ち焦がれる。そして稲の穂の一粒一粒が稔りはじめ、穂が垂れ、収穫の喜びの日が来ることを思うと、雪解け以来手しおにかけた労働のつらさなどすっかり忘れてしまう。

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 私は稲をつくり始めてもう50余年になる。その間コメにまつわるさまざまな体験をしたが、その行方はどうであろうと命ある限り、この稲の香りをこの山あいの村から消したくないし、消してはならないものと思っている。

 山あいにある私の村は、平地といえるほどの平坦な場所はほとんどない。したがって田んぼはみな段々で、小さい。ゆえにトラクターとか、コンバインなどのような大型の農機具を十分に使いこなすことができない。それで手作業でやる仕事が多く、苦痛な労働が強いられる。それで、機械文明の発達した中で育った若い人たちはそうした苦痛な労働を嫌ってコメをつくる気がない。だから畔道を歩いて、このすばらしい香ばしい稲の花の香を吸うこともないし、知ってすらいない。

 昔、この村の人たちはコメの飯にありつくことに懸命だった。明治15年に生まれた祖父に聞いた話だが、この山あいの村の人たちは1人1日1坪(3.3平方メートル)の田んぼをつくればよいのだと、水の出るところを見つけては開田したのだという。だからわずかな湧水があるところに小さな田んぼが点々とあるし、さらには1キロも、2キロも離れたところの湧き水を引いてきて段々の田んぼをつくったのである。私はそうした古人の苦労を思うと、どうしてもこの小さな田んぼを棄てきれないし棄てでもしたら祖先に罰を課せられでもするような気がしてならないのである。

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 この国の人たちはいま飽食に恵まれて満足している。けれど、それがどうしてなのかということを知ろうとしなくなっている。余っている、といって減反しているコメも含めて穀物の国内自給率が27%程度しかない、などということを耳にしたってよそごとのようにしか思っていない。そして、朝鮮民主主義人民共和国が食糧不足で困っている、などといった情報を目にしてもよそごとのようにおかしがって笑ってさえいる。そして、金さえあれば、食べ物などはどこからでも買えると財界人や政治家たちの声を吹き込まれ、すっかりその気になって、何の疑いも持っていない。

 人はその地でつくられた食べものを食べてこそ「その地の人」になるのである。それがそうでなく、どこかの国から買い入れたものを食べるようになって、この村から人が去ってしまった。300戸あった世帯が150と半分になり、2000人の人口が5百数十人しかいなくなった。なおかつ65歳以上の高齢者が40%を超えているといった状況だ。もはや私には「村の将来」など口を開く術すらもうなくなっている。そして、その根元はみな、人のくらしが自らの意志で営まれているのではなくお金の流れを左右する人たち≠ノよって左右されているのだという事、つまり、自分の味を自分で見きわめ、判断できない人になっているからだと思えてならない。さらに細かくいえば、この稲の花の香りも、コメの味も知らない人にされているのだと思う。

 私は子どもの頃、夏の暑い時にはよく冷たい井戸水で御飯を洗って食べた。そして、茄子漬やきゅうり漬をおかずにして井戸端で食べるそれは格別にうまかった。もちろん今でもそれをやる。そのうまさたるや、高級レストランで食べる食事などよりずっと食が進むのである。加えて、塩びき鱒など一切あればさらに素晴らしい。そうした素朴ながらもほんとの「地の味」「地の香り」をとりもどすことこそこの国の人たちがこの地に生きることの幸せの基本だと私は思う。最近そうした「地の味」を子供たちに知らしめようと「学校給食」に地場産の農作物を!!」という運動が各地に起こっているが、しかし、それもまた結構であるが私にはいささか人まかせのような気がしてならない。それよりももっと大切なのは「食事」を担当するお母さんたちにコメの本当のうまさや食べ方を知ってもらい、それをつくることに精を出してもらわねばならないのだと思っている。

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