絵でつながった日・朝・在日コリアンの子どもたち

平壌船橋第1高中を訪問

城代直美さん(仏教大3年)


 近隣の朝鮮初級学校、日本の小学校と交流を重ねてきた京都・仏教大学教育学部の学生10人が6月22〜26日、朝鮮を訪問した。地元での交流を朝鮮の子どもたちに伝え、ゆくゆくは日・朝・在日コリアンのトライアングル交流を実現しようと、子どもたちが描いた絵を携えての訪問だった。メンバーの城代直美さん(21)に訪問記を寄せてもらった。

ユーアイスクエア

 私たちの活動の原点は、京都市内の公立小学校と朝鮮初級学校の子どもたちが交流する「ユーアイスクエア」だ。今年の2月、3回目の「ユーアイスクエア」が仏教大学をメイン会場に開催された。企画、進行を担当したのは仏教大の学生80人。300人の子どもたちを盛り上げようと奔走した。

 当日は、「友達をたくさん作りたい」「日本の学校と朝鮮学校との距離を縮めたい」との思いが込められた巨大なシンボルマークを参加者全員で作ることから始まった。子どもたちは朝鮮語と日本語を織り交ぜた「ビューティフルネーム」を合唱したり、グループを組んでゲームをしたり朝鮮の遊びをして過ごした。

 何より子どもたちの笑顔がすてきで、これからもこの笑顔を絶やすことなく増やしていきたいと心から思った。

 新たな気持ちもわいてきた。朝鮮に住む子どもたちと交流をしてみたい、日本で行われているこの活動を伝えたい――。

 そこで、私たちは子どもたちに自分の等身大の絵を書いてもらい、朝鮮に持っていくことにした。6月15日、近隣の京都朝鮮第2、3初級学校、京都市立楽只小学校、鷹峯小学校の子どもら30余人に体全体を使って等身大の絵を描いてもらった。名付けて「海を渡るもう一人の自分」。

 私は朝鮮学校の子どもを担当したが、ある児童は朝鮮にいるおじさんへのメッセージを絵に記していた。手には高麗人参を持っている。大きな紙に自分を精一杯表現してくれた子どもたちのためにも訪朝を成功させたいという思いが強くなっていった。

子ども本来の姿

 あいまいでさまざまな情報が飛び交う「北朝鮮」という国。私たちは、期待と不安を胸に到着した。想像していたよりはるかに落ち着いた街並みとそこを歩く人々。バスの中から街の様子を眺めていると、多くの子どもが手を振ってくれた。大同江沿いの公園では、テコンドーを一生懸命練習している子どもたちと出会った。サッカーをしている少年に試合を頼むと快く引き受けてくれた。小さな遊園地には、今か今かと開園を待ちわびているたくさん子どもが集まっていた。合唱団の練習帰りの子どもたち、フェンス越しに外を眺めている小さな兄弟、彼らの姿はすべて印象的だった。けっして裕福とはいえない姿だったが、活気づいて、勢いがあって、子ども本来の姿であるように感じられた。

 私たちが訪れたのは、京都第2初級と姉妹関係を結んでいる平壌船橋第1高等中学校。

 交流は盛大な歓迎会から始まった。朝鮮の子どもたちのきれいな澄んだ歌が緊張した面持ちの私たちの心をほぐしてくれたように思う。私たちは出発前に京都第2初級の呉成元校長から「パンガップスムニダ」「われらの願い」などの歌を習ったこともあり、子どもたちとともに楽しく歌うことができた。

等身大の絵

「サッカー王」「統一」―。思い思いに絵を描いてくれた朝鮮の子どもたち
日本で習った「われらの願い」を平壌の子どもとともに歌った

 午後に授業が実現。朝鮮の子どもたちは3〜4時間という短時間の間に素晴らしい絵を描き上げてくれた。

 日本の子どもとは、違った観点をもって絵を描いていた。考えを聞いてみると、「サッカー王になりたい」「科学者になりたい」「統一を願っている」という子もいれば「朝鮮の朝日を日本の子どもたちにも見せてあげたい」と私たちでも思いつかないような観点から、立派な朝日の絵を描きあげてくれた子もいた。

 ついに別れが来た。私たちがお礼の気持ちを込め、歌を歌ったとき、1人の少年が泣いている姿が見えた。朝鮮の子どもを知りたい、交流したい、日本の子どもとの架け橋になりたい。2日間の交流だったが、この思いが彼らに伝わったのだ。

 子どもたちの笑顔と少年の涙。私の一生の宝だ。

 子どもたちと握手を交しながらたどたどしい朝鮮語でお礼を言うと、うれしそうに笑顔を返してくれたことを覚えている。

 最後に校庭で子どもたちとサッカーの試合をした時、学校中の子どもたちが、自分たちの方だけを応援するのではなく、窓から身を乗り出して私たちを応援してくれた。

 学校を訪問して驚いたのは子どもたちの活発さだ。彼らは、勉強することも、運動することも、何をするにもやらされているという意識はあまり持っていないようだった。あまり裕福とは言えない環境の中、自分の好きなことをただ夢中になってやり遂げようとしている様子だった。

 そして、その瞬間を精一杯生きているようにさえ感じられた。

次は日本の子どもと

帰国後は京都市内で訪朝報告会(京都第2初級)

 帰国すると、友達が口々にどうだったと聞いてきた。伝えたいことはたくさんあるのに何をどう伝えたらいいのか、うまく表現することはできなかった。報告会や報告書を通してもどうしても伝えきれない、言葉にできない思いというものがある。

 それらを実際に肌で感じて、味わってもらいたい。とくに自分たちも行きたいとの願いを込めて等身大の絵を描いてくれた子どもたちを連れて、ぜひもう一度朝鮮を訪れたいという思いがふくらんできた。

 そしてさらにその輪を広げて、朝鮮の多くの子どもたちが願っていた「統一」実現を手伝いたい。南北朝鮮と日本という近隣の3地域がトライアングルのようにつながり合うような活動をしてみたいという気持ちが生まれてきた。

 子どもたちにとって、国境や隔たりなどというものはないはずだ。

 私たち日本人は、マスコミが流す情報をそのままうのみにして、あたかも自分の考えのように取り込み、本来考えなくてはならないことを忘れてしまっているのではないのだろうか。

さらに大きな輪を

 「百聞は一見にしかず」。私たちが、実際に見てきたことは、本当に価値のあることだったと思う。

 「ミステリアスな国」として、距離を置かれてしまっていた朝鮮という国が、私には間違いなく近づき、かなりイメージが変わったように感じる。

 実際に見てきたもの、見えていたものは表面的なものであって、ほんの一部にしか過ぎない。しかし、自分で見てきたことすべてを少しでも多くの人に伝える義務が私たちにはある。

 さらに大きな交流の輪を広げていきたいという気持ちを胸に刻んで、この経験を生かしていこうと思う。

日本語版TOPページ