文化交流への情熱を実感

平壌「国際科学技術ブックフェア」に参加した宇田伸夫さん


 先月10日〜14日、平壌で「国際科学技術ブックフェア」が開催された。このブックフェアに、古代日本の支配層が朝鮮半島からの移住民で形成されていたことを描き、日本や南朝鮮(訳本)で大反響を呼んだ「百済花苑」「新羅花苑」の著者・宇田伸夫さん(50)が、出版文化国際交流センター視察団のメンバーとして参加した。宇田さんは現在、両書の続編・「高句麗花苑」の執筆も始めている。ブックフェアおよび、初めての訪朝についての感想を聞いた。

 ブックフェアのことを知ったのは、「新羅花苑」のキャンペーンでソウルを訪れているときだった。

 インターネットで調べてみると、外務省管かつ下の団体である出版文化国際交流センターが日本側の窓口になっていた。私の所属するペンクラブも外務省の管かつ下のため、話はとんとん拍子に進み、視察団の一員として参加が許されることになった。

 平壌空港では、対外文化連絡委員会副委員長の洪善玉女史が出迎えてくれた。また、私たちの案内兼通訳として対外文化連絡委員会の李萬樹さんと金春実さんが紹介された。2人はほとんどわれわれと遜色ない日本語を話し、それからの4日間、視察団一行は不自由なく行動することができた。

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日本書籍コーナーに集まる平壌市民

 初日の夜に見た「アリラン」の大マスゲームは、まさに筆舌につくしがたいものだった。2日目には初夏の暑さを感じさせるほどの快晴のもと、平壌の市内見学を行った。

 滞在3日目、8カ国、19団体のブックフェア参加者全員が人民大学習堂に一同に会して、開会式が行われた。その直後から予想したよりも大勢の客が訪れ、とくに日本の書籍コーナーはどこにも負けない人の入りとなった。「百済花苑」の朝鮮語訳版などを、若い人が食い入るように読んでいる姿には正直、感激した。

 洪副委員長は、最後までにこやかな笑顔をふりまき、文化交流を通じて日本との国交を模索する朝鮮の情熱を感じることができた。

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 グローバリゼーションと断絶した孤高の国、それゆえに朝鮮は貧しさからなかなか脱しきれていない。でも人々は一生懸命努力し、子供たちは日本の子供とは比べ物にならないくらいがんばっている。今は分断する南北が和解、交流をさらに深め、平和のもとで共存する未来が訪れることを願わずにはいられなかった。

 やがて高麗航空のイリューシン62の甲高いエンジン音を耳にしながら、平壌ではいろいろなものを見かけなかったことに気づいた。

 ゴミはひとつもない。犬、猫、カラスも見かけない。街角で世間話をする主婦の姿や、買い物袋をさげた人もひとりも見かけなかった。美しい公園都市だが、あまりに整然としすぎていて、やや生活感のうすい街。それに、日本なら当然見かける街中でキスをするカップルもなく、手をつないでいる男女というものも1度も見かけなかった。

 若い男女はどうやって出会って恋人となり、恋人たちはどうやってお互いの愛をささやきあうのか? 平壌を舞台にしたラブストーリーを書きたくなった。(まとめ・李松鶴記者)

 百済花苑 中臣鎌子(なかとみのかまこ・後の中臣鎌足)は、山田石川麻呂の依頼で葛城皇子(後の中大兄皇子)の侍読(家庭教師)になる。その頃、天皇となった入鹿は、ライバルである大背大兄皇子にあらぬ嫌疑をかけ、彼の一族を抹殺。その後、中大兄皇子を皇太子から廃位し、権力基盤を磐石のものにする。中大兄皇子とともに位をはく奪された中臣鎌子は、新羅人を糾合し、中大兄皇子をたてクーデターを計画する。

 新羅花苑 大化の改新で政権を取った中大兄皇子は、蘇我一族の粛清にとりかかる。

 そんな中、古人大兄皇子の娘である蘇我倭姫は、中大兄皇子らのはからいによって生かされることになる。中大兄皇子は折を見て蘇我倭姫を訪ねるうちに、采女の宅子娘(やかこのいらつめ)との間に子供をもうける。この子供は後に中大兄皇子と蘇我倭姫の養子となり、大友皇子となる。

 この大友皇子が後に、大海人皇子と皇位継承をめぐって争うことになる。

 【「百済花苑」定価1942円(税別)、「新羅花苑」定価1980円(税別)、いずれも近代文芸社発行=TEL 03・3942・0869、FAX 03・3943・1232】

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