朝鮮を訪れて
「アリラン」から強く感じる民族のエネルギーと意志力
柴田廸春(共和国訪問東京教組代表団副団長)
大マスゲーム・芸術公演「アリラン」の上演もあって、ここのところ、日本からの訪朝者も少なくない。その中の1人、東京教組代表団副団長の柴田廸春氏(元東京教組執行委員長)の訪朝記を紹介する。
丁重な出迎え 「共和国(朝鮮民主主義人民共和国)訪問」は、私にとって長い間の念願だった。今回、図らずも朝鮮職業総同盟(職盟)中央委員会から「アリラン祭典」へお招きいただき、東京教組代表団の一員として訪れることができたことを、心から感謝する。 私たち、別所勝也前東京教組委員長を団長とする代表団一行は、東京朝鮮第1初中級学校校長呉伯根先生、朝鮮総聯東京都本部などの世話で、民主党東京都議団代表とともに6月28日、成田空港を後にした。 北京のホテルに1泊して、翌朝北京空港から空路平壌に向かった。 平壌空港に到着した私たちは、職盟中央委員会国際部の朴副部長、金課長らの丁重な出迎えを受けた。 6月30日には職盟を表敬訪問した。委員長は、日本の教科書問題、ブッシュ米大統領の「悪の枢軸」発言などにも言及された。私たちと入れ代わりに訪問した東京平和運動センター代表団のことも紹介しながら、「同じ職業人、労働者が互いに連帯を深めることこそ重要である」と述べられた。別所団長は、過去に日本が犯した過ちについて触れるとともに、今後さらに友好関係を深めていきたい旨を述べた。私からは、歴史認識の共有、朝鮮の自主的平和統一の実現に向け微力を尽くしたい、ことをつけ加えた。 言葉で表現できぬ 大マスゲーム・芸術公演「アリラン」は日没後、暗くなってから上演された。 15万人収容といわれる「アリラン」会場、メーデースタジアムに車で向かった。 午後8時半頃から始まったリハーサルに続いて、夕闇が迫るとまず、バックスタンドをきっちり埋めた約1万人の学生、生徒による、パネルを使った「人文字」「人画」が次々に展開され始めた。11組の色別のハングルが浮き出た。この後描かれる数々の「人文字・人画」の見事さはただただ驚嘆するばかりだった。 変わり方の速さ、一点のミスもなく朝鮮の自然の、花咲く春から吹雪の冬までの四季の風景、工場、建物、人物、花模様などすべて色鮮やかに、つぎつぎと描き出されていく様は、とうてい言葉や文字で表現できるものではない。 一方、サッカー場を上回る広さのフィールドでは、同時進行で踊りや演技を組み合わせながら、花模様、朝鮮の国の形などを、これも色彩豊かな衣裳を身にまとった数百人という集団が、入れ代わり立ち代わり描いていく。その様は言葉や文字でとうてい表現できるものではない。 音響、色彩、立体画像の組み合わせは心憎いばかりの演出。そしてこれを創り出し、演じきる民族のエネルギーと意志力を感じた。 歴史的認識に感動 7月1日、板門店へと向かった。板門店では、案内役の孫中佐による模型図を使っての説明があった。参観の後、孫中佐との「会談」が行われた。中佐は「従軍慰安婦」などに対する日本政府の対応、中でも補償が依然なされていない問題に触れ、加えて、いわゆる「拉致問題」について、「もし、これがあるとすれば、日本の植民地時代の大規模かつ大量の『拉致』(「強制連行」の言葉は使っていない)問題の解決(補償も含め)が先決ではないか」と発言した。 当然のこととは言え、軍人がきちんとした歴史認識を持っていることに、私はある種の感動を覚えた。 日本を発つ前、牡丹峰高等中学校を訪問し、校内を見学した。授業は午前中だけ。午後はすべてが課外活動で音楽、化学、物理、パソコン、刺しゅうなどが行われていた。最後に講堂で踊りと器楽演奏の公演を鑑賞したが、いずれも見事なものだった。 一区切りすると、踊りを披露してくれた子どもたちがそろってステージを降りてきて、私たち一人一人の手をとってステージに招きあげた。何事かと思っていると、朝鮮民謡の演奏が始まり、手をつないだまま踊り出した。 私たちは、彼女たちにしっかりリードされながら、しばしの間踊りに興じた。何のけれんみも硬さもなく実に自然なままの対応で、人知れず胸が温まるのを感じた。 |