月間平壌レポート 2002.7
「国が豊かになるため」
新たな経済政策に期待と支持
【平壌発=金志永記者】平壌の風景が大きく様変わりした。
大マスゲームと芸術公演「アリラン」の上演期間が延長され、全国各地から大勢の観覧客が詰めかけている。地方から平壌に向かう「アリラン」列車が臨時編成され、平壌駅周辺は常に人波でごった返している。 感動と興奮に包まれた表情。一方で、従来にない真しな姿も見かける。 誰もが自分の受け取る給与と家計について見直しを始めた。「働いた分だけ報酬を受け取る」。社会主義の分配原則が例外なく適用されるようになった。国が推進する経済政策が人々の生活にも変革をもたらしている。 実利最大限求める
今月から、人々が受け取る給与が一斉に引き上げられるとともに、商品、サービスの値段も上がった。社会主義分配原則が正しく機能するように、国の負担による社会的施策の範囲が変更された。 昨年、朝鮮は経済の管理システムを改善するための「画期的措置」(洪成南総理)を講じた。社会主義の原則を守りつつ、実利を最大限追求するための新たなシステムが模索されている。 今回の給与と物価の引き上げについて、国家価格制定局の担当者は「実利を追求するには、まず勤労者が自らの経済活動の実態を正確に把握しなければならない」と説明する。これまでは生活のさまざまな分野が少なからず、国家の負担によってまかなわれてきた。コメの価格も家賃も「ただ同然の水準」だった。 物価の引き上げとは、結局のところ国家の財政支出による調節を排した「実際の価格」を示したものだ。国家は、これまでのような負担をしない代わりに、勤労者に「実際の価格」に基づいた生活費を保証する。それが給与の引き上げである。 「国家が人民の生活に責任を持つという社会主義のシステムに変動があったわけではない」と担当者は指摘する。 それでも人々の意識は変わった。「社会主義に『タダ』はない」。そんな台詞を聞くようになった。 「怠け者」許さない 家庭では、1カ月の生活費を事前に計算し、できる限り節約に努める。職場では、業績を上げるための知恵をしぼり、仕事に励む。人々は「実利」について、自分の生活と結び付けて考えるようになった。 経済の管理システムを改善する国家政策により、工場、企業所では「収益に基づく評価方法」が厳密に適用されるようになった。多く稼げば、それに見合った分配が行われるというわけだ。労働者の給与も、それだけアップする。当然ながら、収益がマイナスであれば、労働者も国家の定めた給与額より少ない金額しか受け取れない。 「クオンダルクン(怠け者)は許されないということでしょう」 今回の措置に対する一般市民の反応はおおむね好意的だ。「国の経済を立て直すためには、すべての人民が努力しなければならない。賢明な措置だと思いますよ」。ある工場労働者はこう語りながら、職場の同僚も皆、国の経済政策を歓迎していると話した。 こうした賛同と支持は、現在の経済政策が自分たちの生活水準向上につながると信じているからこそ出てくるものだ。 7月から市内を走るバスの運賃が10チョンから2ウォンに上がった。乗客の1人がこんな計算をした。「1つの路線に250人の乗客で500ウォン、往復で1000ウォン。これだけあれば国から供給されるのを待つのではなく、企業所が自分たちの売り上げでガソリンを購入できる」。燃料問題が解決すれば、交通事情も改善される。それによって利用者が増えれば、バスを運行させている国営企業の収益も上がるというのが彼の見解であった。 国が豊かになってこそ、自分たちの生活も豊かになる。個人より集団を優先的に考えるのが、社会主義朝鮮に生きる人々の生活様式である。 経済が危機的状況に陥った1990年代後半、人々の生活を保証してきた社会的施策が本来の機能と役割を担えなくなった。人々は、自分たちがいかに多くの恩恵を国から受けていたかに気付いた。そして否応無しに、自力で生きていくための生活力を身に付けなければならなかった。 集団主義に基づく 敵対国の圧力に屈せず、苦痛と犠牲を耐えたのは、社会主義の路線を守り抜くためであった。 「あの試練に打ち勝ち、朝鮮の人々はさらに強くなりました」 「苦難の行軍」時期を振り返る時、多くの人々が語る「勝利」の真価がこれから試されようとしている。国際環境の変化に対応し、国内の現実に即した朝鮮式社会主義の建設である。 遊んでも暮らせる平均主義、平均主義による働く意欲の喪失、そして物不足で機能しない配給制度。ゆがめられた社会主義のイメージを打破する歴史的な変革が行われようとしている。 現在の経済改革は、「生産手段の全人民的所有に基づく計画経済」の枠組みの中で行われているが、日本のマスコミは「市場経済導入の一歩」などと、し意的に解釈している。 だが、朝鮮の人々は、社会主義経済と資本主義経済の「相違点」を直感的にとらえている。すなわち、「集団主義に基づく経済」と「個人主義に基づく経済」という違いだ。 国内ですでに300万人が観たという「アリラン」は、「われわれが『苦難の行軍』をどのように総括しているかを内外にアピール」(労働新聞)するイベントとして位置付けられている。全国から観覧客が詰め掛ける会場では、市場経済の論理では計れない団結のエネルギーが示威されている。観覧席を埋めつくした人々も「苦難の行軍」を体験し、国が豊かになることを何よりも願っているに違いない。 公演のエピローグは、平壌の夜空に鳴り響く「強盛復興アリラン」の大合唱。2002年の夏、人々は次の時代に向かって大きな一歩を踏み出そうとしている。 |