ウリ民族の姓氏−その由来と現在(78)
桓武天皇の血縁関係と撰進
終章「新撰姓氏録」が語るもの(上)
朴春日
最後に、9世紀初、平安王朝によって編さんされた古代氏族の系譜書「新撰姓氏録」(30巻)を見てみよう。
これは桓武天皇が諸氏族に本系帳の提出を命じたことに端を発し、皇子・万多親王らが撰進したもので、平安京および畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)に居住した古代氏族の族譜である。 周知のごとく、桓武の母は百済・武寧王の子孫・和乙継(やまとのおとつぐ)の娘で、光仁天皇の夫人である高野新笠(たかのにいがさ)であった。 また桓武の後宮には百済王明信を初め、百済王一族の女性たちがおり、平城・嵯峨・仁明の各天皇も百済系の女性を夫人としている。 さらに公卿(くげ)として、百済系の和家麻呂・坂上田村麻呂・菅野真道らが参議となったのも、この桓武の時代であった。 そうした血縁関係と「新撰姓氏録」の撰進が、まったく無関係であったとはいえまい。なぜなら当時、諸氏族の出自と賜姓の推移を明確にし、始祖伝承の美化・粉飾を正す必要が生じていたからである。 さて「新撰姓氏録」に収録された氏族数は1182氏で、これはいわば当代の支配層であるが、内訳はつぎのとおり。 皇 別(天皇家の子孫)335氏 ここで注目すべき諸蕃(しょばん)は、高句麗・百済・新羅・伽耶・中国の移住者を始祖とする氏族で、全体の3分の1を占める。 このうち朝鮮系統の氏族であることが明確なのは193氏で、内訳はつぎのとおり。 百済系統 118氏 これは氏族数全体の6分の1にあたり、これだけでも畿内における朝鮮系統氏族の政治力を示すものであるが、実際はこの数字を上回ると見てよい。 なぜなら、まず諸蕃の残りの氏族は、その始祖をほとんど中国の漢と結びつけているが、その大半は付会であって、実際は伽耶を指す「漢(あや)」だからである。 有名な東漢(やまとのあや)氏の祖が、百済の阿知使主であったことはすでに述べた。 また皇別・神別と未定雑姓の氏族の中にも、明らかに朝鮮系統と目される氏族が多数いるので、全体的に見ればその割合はさらに大きくなる。 しかも現存「新撰姓氏録」の伝本は省略本だから、完本であれば朝鮮系統の氏族数はもっと増えるであろう。 (パク・チュンイル 歴史評論家) |