ルポ
山あいの村から
農と食を考える
野も山も谷もすっぽりと緑の中。猫の額のような田圃に苗が育ち、段々畑の畔道にはマーガレットや紫陽花が咲き誇り、小川のせせらぎの音がささやくように聞こえてくる。都会で神経をすり減らすように生きている身にとっては、この景観そのものが、まさに心のオアシスである。
o o
東京から新幹線に乗って山形へはおよそ3時間。そこから上山市狸森に住む農民作家・佐藤藤三郎さん(67)の家は、国道で16キロをさらに車で行く。小さな山間の村の学校前で降りて、今度は見上げた山の頂上付近へと、徒歩で25分ほど登って行った。 「こんにちわ」と玄関先で声をかける頃には、汗びっしょりで、息も絶え絶えになっていた。 ここで佐藤さんは農業のかたわら、文筆活動を続けてきた。戦後約半世紀、激変する日本農業を身を持って体験した証言者でもある。 「百姓をやりたいが、百姓では食えない」―。「土」を離れていく村人らの吐き出すような思いが、近著「私が農業をやめない理由」や「山びこの村」から切々と伝わってくる。 佐藤さん自身も息子夫婦が山形市内で共働きの教員、娘も他県で学生生活を送っていて、夫婦二人暮らしが長い。 o o 日本の「戦後」もまもなく57年になる。長い間、暮らしを支え続けてきたコメが自由化の大波に洗われ、その直撃を受けた競争力のない弱小農家は底深く沈んでいる。佐藤さんは「日本の政治も経済も終末なのではないかと思わされて、ただただ腹が立つ。政治と田畑の荒廃は背中合わせになっている」と憤る。 農の大切さを数字で説明せよというのは、母の大切さを数字で出せというのと同じくらいに愚かなことだ。しかし、日本の現実は、その「母」を徹底的に痛めつける。 「40年前には、この村の学校に、約400人ほどの小中学生が通っていたが、今は22人に減りました。このまま行けば、わが家も、村もおしまい」
この山村に住んで60余年。その間に村人は4分の1に減り、村の学校の生徒数は20分の1に激減。後継者も若い女性も居着かぬほど寂れてしまった。 「日本の自給率を下げ、農業を駄目にしているのは外食と、それにともなう加工食品の横行だと思っている。高級な料亭と割烹は別としても、大学や工場の食堂、それに病院の食堂、学校給食を含め、いわゆる大衆の食べるものは加工食品が多く使われる。こうした食堂は『安価』であることが要求されるから輸入食品を使う。そして味をごまかすために化学調味料で味をつける」 農薬汚染、遺伝子組み替え食品など行き過ぎた工業文明が人の暮らし、生き方を壊す。農業も、農村もダメになり、情報を流し、金をもうけ、金で人をだまし、権力によって金をつる、などという生き方をやめなければ、と佐藤さんは語る。 世界中からおいしいものを買い漁るぜいたくに馴れた胃袋。香ばしい自然の香りと土の匂いも、村々から消えた。 「戦前は武器を持って、他国を侵略し、資源や食糧を奪ってきた。今はどうかと言えば、カネの力で、食えない人がいる国からコメを持ってくる。その一方で、侵略戦争は正しかったという大臣の発言が後を絶たない。戦前も、今も、やっていることは同じなので、その愚かさに全く気づいていない、ということだろう」 o o 田圃は20アール。都会で暮らす家族の分を賄い、みそも野菜もすべて作る自給自足の暮らし。山形弁で「ベコ」と呼ばれる黒毛和牛9頭を育て、出荷する。日の出と共に田畑に出て、日の入りと共に仕事を終える暮らし。従って、今は朝5時過ぎから働いている。執筆は夕食後になる。 「人間がより人間らしく生き、文化的な暮らしをするということは、決して多く働き、多くの金を得ることではない。できるだけ多くの『自由な、自分の時間』を持つことである」。まさしく理想的で、うらやましい生き方なのかも知れない。 戦前、村に出入りしていた朝鮮の屑鉄商を、子供たちが「チョウセンッコ」と呼び、からかっていた記憶がある。「朝鮮を植民地支配して、徹底的に蔑視する教育がなされ、子供の心にもいわれない偏見が刻まれていったのです」。
それはいまだに変わらぬ光景だ。マスコミによる狂乱的な反朝鮮報道…。「過去の歴史をそのまま引きずっている、としか思えない」と。 この1世紀の間、アメリカやヨーロッパという「遠い親せき」ばかりを相手にして、朝鮮やアジアという隣人を無視してきたニッポン。 「過去をきちんと謝罪するのは、人間としての道理。それがないと誰からも相手にされない。食糧が不足しているという北朝鮮の子供たちのことを思うと胸が痛む。エネルギーのほぼ100%を他国に依存している日本もいつそうなるか分からない。困った時は相身互い。すぐ援助するのは当たり前。それが人道的ということなのだ。共に手を携えていく関係を築かねば」 「繁栄の陰で政治も、経済もさらに日本人の心までもが腐ってしまっている」と嘆く。しかし、それをなおすくすりは「土であり、百姓の手である」との強い誇りを胸に、今日も山あいの田畑で心地よい汗を流す。(朴日粉記者) =来月から、佐藤さん執筆によるシリーズ「山あいの村から―農と食を考える」を始めます。 |