揺るぎない生への肯定
黄皙暎著 青柳優子訳 懐かしの庭(上下巻)
評論家・鄭敬謨さんをして「当代随一の思想家であり、哲学者であり、文学者」と言わしめる「韓国」の作家黄皙暎の「懐かしの庭」(「創作と批評社」刊、00年)が、青柳優子さんの翻訳でこのほど岩波書店から出版された。
その出版記念パーティーが、黄皙暎夫妻を招いて6月28日、東京都内で行われた。いかなる作品であれ「悩み、怒り、愛し、そして闘った普遍的な人間を描いてきた」(鄭敬謨さん)作家にふさわしい賛辞が出席者らから寄せられた。 雑誌「世界」編集長の岡本厚さんが「故安江良介前編集長が長兄、黄皙暎さんが次兄、そして私が末弟という深い絆」を振り返りながら、「韓国」の人々から圧倒的に支持を受けた本書を翻訳・出版できた喜びを語り、日本の読者にも広く受け入れられて、東アジアの平和と和解の架け橋となってほしい、と語った。 「この作品は激烈な80年代の、作家の非凡な体験によって生まれた」(崔元植「創作と批評」主幹)。あの吹き荒れた暗黒の時代。作家はこの悪夢と全身で格闘する。窒息しつつある時代にあって独創的であろうとして身を焦がすような激しい闘いに身を投げ出すのだ。 「みんなは光州での無慈悲な良民虐殺を見たり聞いたりしており、それは炎の時代である80年代の始まりだった」と作家自身が振り返る過酷な時代を背景にこの物語は進行する。男女の切ない愛。自己犠牲の精神。欲望と最も遠くに位置する魂。苦悶し、時代と生に正直であろうとする人々。 この小説の中で、読者は「あの時代に無名のままに生きた人々の堂々たる青春を、どうして忘れることができようか」という印象的な言葉に出会う。潜伏する政治犯である主人公を助けたさまざまな人たちへのレクイエム。炎の時代を鮮烈に生き抜く若者たちの描写が美しい。 民主化への切望とそれゆえに流されるおびただしい血。その崇高さと苦痛を受けとめる女の献身的な愛…。その深い苦痛の時間から作家が、半生を捧げ、自らの手ですくいあげたものを、読者は感受できるだろう。 罪なき罪によってむこの人々が獄舎に繋がれ、そこでは精神と肉体に想像を絶する暴虐が加えられる。「日帝時代から行われてきた刑罰の技術は、この間の戦争と政権交代と歳月の変化を通じて、数多くの経験を積んで高度化した」という主人公の独白は、作家のありあまる体験に基づく。 作家自身が歩んだたゆみない闘争と苦難の道。その根底を骨太に貫くのは、不屈で揺るぎない生への肯定である。 小説で読者は、獄中の呉賢佑に会えないまま病に倒れた韓潤嬉が「私たち、すべての日々と和解しましょう」と記した最後の手紙に出会うことになる。これこそ、国境や民族を超えた普遍的な言葉として、人間と時代を激しく揺さぶるのだ。果てしない憎悪と殺りく、その報復の悪循環に陥った世界をも…。 この作品は、悲痛な80年代を体験し、89年訪北。その後ドイツと米国を経由して93年にソウルに帰り、5年間の獄中生活を強いられた作家の復帰第1作目。 長い獄中生活で、果たして執筆再開は可能か、という友人たちの杞憂もあったというが、発表された作品は、各界、読者層の圧倒的な評価と支持を受けた。しかも、朝鮮半島と世界に向けて統一と和解の劇的なメッセージを送った北南首脳会談の1年前に刊行されたのである。作品に流れる「和解のメッセージ」と6.15宣言を貫く「和解と統一と協力の精神」。 苦痛に満ちた歳月、精神の彷徨と挫折の末に到達した作家の思索と人間をめぐる深い愛の軌跡にただ頭を垂れるのみ。 パーティーで答礼に立った黄皙暎さんはここに居ることに心から感謝すると述べて「今、一番大事なことは、朝鮮半島に確固とした平和体制を築くことだ」として、「戦争が好きな米国がその気になればいつでも朝鮮半島で、戦争が起こりうる停戦協定を平和協定に代えなければならない」と真摯に訴えた。 翌日に起きた朝鮮西海上での武力衝突事件は、全く偶然ではあるが、作家の言葉に強い説得力を持たせた。(粉) |