西海上での武力衝突事件の真相 延坪漁民の証言

「軍の発表はウソ、越境したのは南側」

南朝鮮のインターネット上で告発


 昨日の放送を聞きながら、勇気を出して投稿します。

 静かだったこの小さな島(延坪島)に、今は島民よりも取材陣の方が多いのですが、彼らは事件の真相よりも、もう1回交戦があればと願うかのように、島の周囲にカメラを設置し目をらんらんとさせながら夜を徹しています。今日も某放送局の記者と話しましたが、「真相は知っているが、明かすことはできない」と言っていました。

 私は幼い頃からここ延坪でワタリガニを捕っている漁民です。

 真相が明るみに出れば、漁民にとっても海軍当局にとっても大きな打撃になります。漁民は漁民で操業が制限され生計を立てることが難しくなり、軍当局は事件の真相を隠ぺいした責任をとる事になるでしょう。

 しかし、これを政争に利用しようとする一部の人々がいることから、今回の延坪交戦の真相を明かそうと思います。

 2002年には2つの大きなイベントがあります。1つはワールドカップ(W杯)、もう1つは大統領選挙。延坪はここより北に位置する白翎(島)より北に近い最前方地域です。今年の春、軍当局は操業許可を出しながらも、延坪の漁場以外での「北方限界線」(NLL)の越境を禁止するとともに、厳しい統制と法的措置を課しました。北側を極力刺激せず、2つの大イベントを無事に終わらせようという意図だったのでしょう。

 最初は漁民たちもそれに賛成し安全な操業をしていましたが、今年はいつになくワタリガニが捕れません。禁漁期は迫るし、漁獲量は上がらないし…。NLLを越えればワタリガニはいくらでもいるのに、入ることもできずやきもきしていました。

 それで、60余人の作業船の船長が団結しNLLを越えたことで、事件が勃発したのです。

 6隻の高速艇が60余隻の漁船を取り締まるのは至難の業です。概要はこうです。

 6月26日:この日も海軍の警備艇がNLLラインの外で待機して漁船を統制し、60余隻の漁船は1度接岸し作戦会議をした後、同時にNLLを越えました。艦隊司令部からは、漁船の統制が難しいという事で強制撤収の命令が下されました。10時までにふ頭に接岸し入港申告をしろという命令に、すべての漁船は急いで入港しました。その日の夜、船長たちの会議がありました。

 6月27日:前日、海軍当局の命令を無視したので出港が統制。

 6月28日:この日は越境しないという条件付きで出港が許可され、漁船は何事もなかったように出港。船長らは非常通信の周波数を合わせ、8時に越境することを確認しました。

 AM8:00
 60余隻の漁船が一斉に越境、軍当局の警告を無視して操業を開始しました。

 AM8:45
 北側の警備艇が南下しているので戻れという警告放送がありましたが、漁船はそれも無視し夢中で操業。

 AM9:00
 高速艇3隻が増援、そのうち2隻が北の警備艇と対峙。残りの4隻は限界線に戻ってきた漁船を整理しはじめる。

 AM9:45
 北側の警備艇との対峙が続くうちに、艦隊司令部から強制撤収の命令が下る。

 AM10:13
 漁船の整理が終了。

 AM10:30
 南の警備艇と対峙していた北の警備艇が帰還。この日の夜、船長と船主らが集まり軍当局と協議し、漁場越境を限定的に許可することで合意したといいます。

 事件当日の6月29日:いつものように午前6時に出港し漁場に移動中、軍当局の通信が始まりました。「昨日の越境で北を刺激した。8時以後に越境の許可を出すので、それまで我慢してくれ」と。また、越境はしてもNLLは越えないでくれとも言いました。

 AM7:30
 許可の時間までの30分が待てず、60余隻の漁船が一斉に越境を始め、体制を完全に整えていなかった軍の高速艇は慌てだす。漁場から北側までは約11キロあります。海上では距離をマイルで表しますが、1マイルはおよそ1.84キロです。ほとんどの漁船は3〜4マイルのところで停止し操業を開始し、10余隻の漁船は7マイル以上越境したようです。

 AM8:00
 延坪から西方14マイルの地点で哨戒中だった高速艇2隻が過度の越境をした漁船を捕えるため急派され、残りの4隻も増援されました。NLLを越えた漁船に対し厳重警告をしましたが、漁船はこれを無視。その後も努力をするが捕捉に失敗。高速艇は漁船の護衛に専念。

 AM8:45
 北側の警備艇2隻が高速で南下。

 AM9:00
 北の警備艇が漁船への接近を試みた時、艦隊司令部から漁船の強制撤収の命令が下る。

 AM9:05
 漁船を護衛していた警備艇2隻は、北の警備艇を阻止するため出動。

 AM9:13
 南北の警備艇が遭遇。2隻の警備艇は南下する北の警備艇を阻止するため高速機動。

 AM9:45
 南北、交戦。ここからは軍の発表どおりです。漁船がこの地域からの撤収命令が出た時に戻っていれば、このような衝突はなかったことでしょう。

 私も漁業に携わっていますが、本当に後悔しています。青年たちの命と国家財産を守ることができたのに…。交戦が始まった時にも操業していた10余隻の漁船は、戻れという海軍の艦艇に罵詈(ばり)雑言を浴びせたそうです。

 みなさんはどう思いますか? 私は事件現場でこの光景を目撃しました。今、事件の真相はうやむやにされようとしていますが、死んでいった海軍兵士や遺族に申し訳なくて夜も眠れません。

 この事件を世に知らせてください。負傷兵の1人がヘリコプターで移送中、私たち漁民を見ながら言った言葉が耳に残っています。大きな声で泣きながら、「あんたたちのような船乗りが本当に憎い」と。

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