「朝鮮人強制連行は『拉致』」

戦時中の厚生省会議で土建業者が明言


 第2次世界大戦中、朝鮮人強制連行を計画・実行した当時の厚生省の会議で、強制連行を「拉致」と報告していた。一方、強制連行された朝鮮人の強制労働によって、旧日本軍の地下工場(神奈川県横須賀)が建設されたことを示す、資料が日本の国立公文書館から初めて発見された。いずれもこのほど出版された朝鮮人強制連行真相調査団編著「朝鮮人強制連行調査の記録―関東編1」(柏書房)で公表された。(地下工場建設の詳細は社会・生活欄)。

 朝鮮人強制連行に対する「拉致報告」は、千葉県朝・日合同調査団の調査で明らかになったもの。1971年発行の「戸田建設九十年略史」の「4 朝鮮人労働者=55ページ」で言及されている。

 1942年8月12日、厚生省大会議室で会議が開かれ、厚生省・商工省・内務省の各事務官、陸海軍省・各府県の課長、統制団体員・協和会会員らが出席、そこで報告された申し合わせ事項、「移入朝鮮人労務者逃走防止ニ関スル件」によると、「(朝鮮)半島より大勢の人間を拉致して、主に軍関係の工場に就労させた」と、朝鮮人強制連行が「拉致」であったことを明記している。

 また、現場監督の任に当たった社員たちの発言を総合して、「朝鮮人たちは各現場に飯場をつくって起居していた」「衣服はいわゆる民族衣装で、畑からそのまま徴用された者が多かった」などと紹介。

 さらに「強制的に連れてきて苛酷な労働を強いるのであるから、どうしても逃走者が出た」とも書かれている。

 また、東部軍の斡旋(あっせん)によって朝鮮人労務者281人が戸田組の斎藤勤労課長以下16人の補導員に引率され(44年)11月10日、13日の両日にわたり、千葉県山武郡豊成村(現・東金市)の宿舎に到着。その後訓練されて「東金に83人、ウヒに99人、船岡に42人、霞ヶ浦に59人と各現場に配属された」と明記されている。彼らは、東金飛行場建設に従事させられた。

 朝鮮人強制連行真相調査団の洪祥進・朝鮮人側事務局長は、「朝鮮人強制連行が厚生省、陸海軍から民間まで公然と『拉致』との位置付けであったと推測でき、さらに会社史でこのことが明記された初の資料だ。今後の強制連行の本質解明に不可欠な視点である。これにより日本の国家的戦争犯罪行為に対する責任が、よりいっそう明白に追及されることとなる」と述べている。(羅基哲記者)

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