ウリ民族の姓氏−その由来と現在(71)

約500のうち5%前後の複姓

複姓について(上)

朴春日


 これまで、わが国の主要な単姓(1字姓)を取り上げてきたが、今号からは複姓(2字姓)と帰化氏族の姓氏、そして移住氏族の姓氏について簡潔に述べたい。

 まず複姓であるが、わが国の500近い姓氏のうち、単姓は約95%を占め、残りの5%前後が複姓といわれている。

 その複姓を人口の多い順に並べてみると、南宮(ナムグン)・皇甫(ファンボ)・司空(サゴン)・鮮于(ソヌ)・諸葛(チェガル)・西門(ソムン)・独孤(トクコ)・東方(トンバン)・扶餘(プヨ)・司馬(サマ)・令孤(リョンゴ)・石抹(ソクマル)など12姓となる。

 ところで、南朝鮮の1985年の調査によると、複姓はこのほかに小峰(ソボン)・長谷(チャンゴク)・岡田(カンジョン)・網切(マンジョル)の4姓が増えたという。

 これは日本からの帰化者と見られるが、日本人の場合はこの2字姓が圧倒的に多く、全体の85%強を占め、約9万種にのぼっている。

 では、わが国の主な複姓を見てみよう。

 まず南宮氏は本貫数6。主な本貫は咸悦(ハムヨル=全羅道)・富潤・南平・龍安・宜寧・慈山など。

 咸悦南宮氏の始祖は南宮元清で、高麗の侍中(首相格)であったという。「高麗史」には、第27代・忠肅王のとき、南宮敏という学者が科挙に及第した、とある。

 李朝時代には、南宮順の子・南宮賛が知られた。彼は副提学(正三品)を務め、その子孫・南宮淑は監司、南宮忱(チム)は戸曹参判を務めている。

 また、武官であった南宮斗は、誤って人を死なせたことから世を捨て、山中にこもって道法を究め、神仙の境地に達したという。

 さらに李朝末の詩人・南宮壁(ピョク)と、1898年に発刊された「皇城新聞」の初代社長・南宮檍(オク)も知られている。

 つぎに皇甫氏。本貫数は9。主な本貫は永川・黄州・唐津・南原・烈山・兎山・巾子山(コンジャサン)など。

 皇甫氏の歴史も古く、高麗の太祖・王建は、黄州出身の皇甫悌恭(ジェゴン)の娘を神静太后として迎えているから、この氏族はすでに名門であったに違いない。

 永川皇甫氏の始祖は皇甫善長で、高麗金剛将軍と伝えられる。また皇甫魏光は使臣として、皇甫兪義(ユイ)と皇甫gは文臣として知られた。

 さらに皇甫抗は「名儒」と評された学者で、皇甫琳は李成桂の部下として活躍している。

 皇甫仁(永川)は李朝初期の名臣であった。領議政を務めた彼は、第5代・文宗の遺命によって幼君・端宗を守護していたが、結局、首陽大君によって殺害されてしまった。そして彼とその一族も悲劇の死をとげている。

 次回は複姓の続きである。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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