閑話休題

愛と闘いの生涯

「私を最大限に利用しなさい」


 「私を最大限に利用しなさい」。5月30日、「韓国」民主化運動と祖国統一に生涯を捧げ、亡くなった李愚貞さんの口癖だった。次世代の女性活動家を数多く育て、自分のものは何1つ残さず、全て貧しい人々への基金にした高潔さ。亡くなった後には、李さんの角膜が患者に移植されたとのニュースも伝えられた。

 日帝下の23年、裕福な家庭で生まれた。韓国神学大学で学び、カナダに留学。ソウル女子大学、韓国神学大学教授を歴任した。韓国教会女性連合会を率いて、87年には初代韓国女性団体連合(KWAU)の共同代表を務めた。

 軍事政権時代には何度も投獄されたが、屈せず、虐げられた貧しい女性労働者を支援、民主化闘争の先頭で闘った。買春目的のキーセン観光の根絶運動を指導、「キーセン観光も愛国」だと暴言を吐いた文教部局長に「それなら、あなたの娘さんから観光用キーセンにしなさい」と一喝したのはあまりにも有名な秘話。

 KWAUの結成のきっかけの1つが、権仁淑さん性拷問事件だった。「韓国」女性運動あげてこの問題に結集して、各地に1000人以上のボランティアを養成、被害者の救援活動を広げた。さらに90年代には、尹貞玉さんらと「従軍慰安婦」問題に取り組み、日本政府の謝罪と公的責任を追及するなど、世界の女性運動のリーダー的存在だった。

 厳しい闘争と試練の中でも、皆から「優しい慈母のような存在」(中央日報)だと慕われた。91年からは祖国統一を求めて東京、ソウル、平壌で「アジアの平和と女性の役割」をテーマにシンポを開き、南の女性運動を民族統一と一体化させる方向へと導いた。

 また、90年代半ばには、食糧難に苦しむ北の子供たちに1億5000万ウォン相当の膨大な量の粉乳を送った。愛に貫かれた見事な生涯だった。(粉)

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