「有事」の狙い―識者と考える (1)

平和への知恵発揮すべき

石川文洋さんと沖縄


 日本の国会で有事法関連法が提出され、その推進者たちが勇ましい言葉を吐く。折しも戦争モードの高まりの中で、福田康夫官房長官が「非核3原則」の見直しを口にして、内外の厳しい批判にさらされている。日本政府が仕掛ける有事の狙いは何か。識者と一緒に考える。

写真展「沖縄復帰30年」の会場で

 写真家・石川文洋さんの写真展「沖縄・復帰30年―1969年〜2002年の記録」が5月下旬、東京で開かれた。この写真展には第2次世界大戦末期の沖縄戦で犠牲となった人々の悲しみやベトナム戦争の後方基地としてフル回転した沖縄の米軍基地、そこで暮らす人々の日常など135枚の貴重な記録写真が展示された。

 57年前、劣勢の旧日本軍は沖縄で10代の少年少女まで戦場に駆り出した。住民を巻き込む凄惨な地上戦。日本軍による住民追い出し、沖縄方言によるスパイ容疑での虐殺、多くの子供が親や親類縁者によって虐殺された「集団自決」なども起きた。米軍の報告書は「ありったけの地獄を集めた」と沖縄戦を形容した。その犠牲者は15万人以上ともいわれる。

 石川さんは、その悲惨な沖縄戦を体験した遺族の消えることない悲しみと死者の果てしない沈黙を追い続けた。死者に代わって沈黙を語り継ぎ、平和を訴える重い仕事だ。

 「過去の戦争の傷もいえないのに、有事法制を作り、新たな戦争をしかけようという狙いは許し難い。この世の地獄としかいいようのない光景が繰り広げられた沖縄戦の実相。米軍の出撃基地となり、ベトナムに多大な犠牲者が生じたベトナム戦争での沖縄の役割。この写真展では若者たちに戦争の悲惨さを知ってほしいという願いを込めました」

 「集団自決」があったマッピ岬の240メートルの絶壁と真っ赤な鳳凰の木を鮮やかに照らす1枚の写真には、死者たちの無念の炎が立ち上るかのようだった。今また日米防衛強力のための新ガイドラインや周辺事態法などによって、戦争態勢が確立された日本。

 沖縄には「ヌチドウタカラ=命は宝」という言葉がある。また、他人に痛めつけられても眠ることができるが、他人を痛めつけたら眠ることはできないということわざがあると石川さんは言う。日本にある米軍基地の75%を占める沖縄が、ベトナムや湾岸戦争の時のように再び利用され、他国の人々に犠牲や苦痛を強いることが繰り返されてはならないという気迫が写真展にこめられているのだ。

 石川さんはベトナム戦争では戦場カメラマンとして、何度も死線をくぐりぬけてきた。1964年8月のトンキン湾事件以降、サイゴン陥落、戦争終結まで、ずっとベトナム戦争を現場で取材した。

 「記者、カメラマンの犠牲者は、200人近くに上る。米軍は50万人もの大軍をベトナムに送り込んで、民衆を虫けらのように虐殺していった。これを侵略といわず、何を侵略と呼ぶのか」

 侵略への激しい怒りと抵抗する民衆への共感。数々の臨場感に富んだ写真は、当時世界中に配信され、反戦の国際世論を沸き立たせていった。その一貫した姿勢はベトナムの民衆から高く評価され、ベトナム写真集の出版が仏、米国でも相次いだ。

 朝鮮には5回訪問した。83年、北京から飛行機で。85年、北京から汽車で。92、96、00年には新潟から船で。

 「朝鮮は暗い国だと一方的に思っている日本人が多い。ところが、現地で実際見るとそんなことはない。日本人と同じように喜び、悲しみ、怒りながら普通の暮らしを大切にしている。日本人の朝鮮への一方的な思い込み、偏見、誤ったイメージを正して行かねばと思う」

 「テポドン」「瀋陽」などのゆがんだ報道を通じて北朝鮮憎悪の感情をかきたて、有事法制の成立を狙う日本政府。石川さんは「東アジアの平和に逆行する行為を、日本は絶対にしてはならない」と語る。戦争になれば、アジアの人が死ぬ。一般の人たちが死ぬ。沖縄戦の貴重な教訓である。「まず、互いを理解し、信頼醸成に努め、平和の方向への構想を描き、知恵を発揮すべきなのは、日本である」と訴える。(朴日粉記者)

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