それぞれの四季

先生の背中

梁愛齢


 京都に住みながら町屋におじゃましたのは2度しかない。今回は、 李玉禮先生とその仲間達の作品展 が目的。

 座敷があって、その奥に坪庭があって、それを横に見ながら渡り廊下を進むと、また座敷があるというのが 京の町屋 のパターンらしい。渡り廊下には、ランプシェードが飾られ奥の座敷には、愛らしい人形と チョガッポ が展示されていた。運良く伽倻琴の演奏が始まるところだった。

 民族衣装を身にまとった美しい女人(前日は、乙女)が奏でる音色は心地よく、その中で見る上等の麻で出来た作品は、趣のあるもので調和のとれた空間を造りだしていた。

 しかし、私は陽に透けるその繊細な布を前に、なんと数学の授業を思い出していたのだから、われながらおかしい。30年前、李先生に幾何を習ったのも事実だが、家庭科なるものを教わったのも事実なのに。

 (同じのはないな。あっちとこっちの角が同じならあの線たちは平行で…)

 作品は、小さな布の集合体なのだが、パッチワークと違ってそれらは、微妙に曲線を持っていたり、それぞれ異なった大きさを持っていたり。それでもちゃんと四角におさまっている。あれはチョゴリの袖を裁つ時に出来る余り布だと知って感心もし、驚きもした。

 「2つ嘘があるんですよ。服がきれいすぎるのと、 麦打ち の麦も造らなくてはいけなかったんですが、考えただけで目が回って…」

 相変わらず先生は、まじめさという直線と、柔和な笑顔の曲線で出来ている。背中で先生がおっしゃるのを聞きながら、そう思った。(会社員)

日本語版TOPページ