祖国取材を終えて-下
平和統一への思い6.15宣言
悲しみの涙より笑顔
祖国滞在中、大きな取材のひとつが、4月28日から5月3日まで2回にわたって金剛山で初めて行われた離散家族・親せきの面談だった。 昨年11月以降、一時凍結していた北南関係を全面的に改善、発展させようとの共同報道文(4月5日)に基づき実施されたもので、南から500人が訪れた。6.15共同宣言発表後、4回目になる面談だったが、それまでとは違ったのは、涙より笑顔が多く見受けられ、雰囲気が明るかったことだった。 「離散の悲しみより、再会の喜びを分かち合いながら、民族の繁栄について話し合い、統一の原動力にしたい」と、アボジの遺志どおり、共に教員の道を歩んだ兄(忠清南道在住、77)に語る金容萬さん(74、平安南道在住)。「北も南も力を入れている科学技術の研究を共同で進め、世界レベルのものを開発しよう」と、金兄弟は口をそろえていた。 漢拏から白頭まで 平壌は、大マスゲーム・芸術公演「アリラン」で一色だった。観覧に訪れた日本など各国からの観覧客でにぎわっていたが、そのほか、多くの南の人々も訪れていた。 国会議員で「韓国未来連合」創党準備委員長の朴槿恵女史(5月11〜15日)、253人で構成された済州道民訪問団(同月10〜15日)である。 済州道民訪問団は、北側の民族和解協議会(民和協)の招請によるものだった。済州道ではここ数年間、協力・交流事業の一環として道の名産、みかんを毎年数千トンずつ北側に送ってきた。こうした経緯を踏まえ、「民族の和解と団結を成し遂げるための済州道民の心情に応える」(民和協関係者)ものとして実現した。
「28カ国を訪問したが、今回ようやく、同じ民族が暮らす北の地を訪れることができた。夢のようだ」(50代の男性)、「不安でいっぱいだったが、1日、2日と日がたつにつれ、隣の家に来たような思いにとらわれている」(50代の男性) なかでも、一行の心の奥に深い思い出として残ったのは、白頭山観光だったようだ。 「『白頭から漢拏まで』『漢拏から白頭まで』とよくいわれるが、これを機に、その線をより太く、より幅広くしていかなければ」(20代の女性)、「朝鮮半島北端の名山を訪れ、あらためてわれわれはひとつの民族であり、国は分断されていても民族、血統を切り裂くことはできないことを痛感した」(50代の男性) 一行は檀君陵と東明王陵にも強い関心を寄せていた。とくに、東明王陵周囲の樹齢400〜500年の松が祖国解放前、済州道から持ってこられた木であることを知ったメンバーらは、「因縁が深い」(50代の男性)などと驚いていた。 60代の男性は、「りっぱに保存され、施設も整っており、先祖を敬うわが民族の共通点が表れている。観光地としても世界に恥じないものだ」と満足げに話していた。 「言葉はひとつ、血もひとつ、ひとつの民族」であることをあらためて確認した済州道民訪問団。北と南の当局が6.15共同宣言を履行し、交流と協力をより活性化させていくことに大きな期待を寄せていた。 ボールは南側に しかしこの間、残念なことに時を同じくして、米国を訪れた南の外交通商部長官が「(米国の)強硬策が、時によっては北を前進させるのに効果を発揮する」と発言。これにより、5月7日からソウルで予定されていた北南経済協力推進委員会第2回会議などが中断した。 同委員会北側代表団は、「われわれは引き続き南当局の責任ある措置を見守っている」と声明を発表。ボールは南側に投げられた。 北南両首脳が合意した6.15共同宣言に基づき、北南間の和解と交流・協力、団結が進む一方で、それに水を差す出来事である。 そんな中、5月27日には、共同宣言発表2周年記念民族統一大祝祭北側準備委が結成された。民族同士、力を合わせて国の自主的平和統一の道を力強く切り開いていけるかどうかは、南当局の態度いかんにかかっている。 |