春・夏・秋・冬

 日本が核開発技術、施設、原材料、運搬手段を持っていることは広く知られた事実である。残るは開発に踏み切るのかどうか、その意思だけだ。だから、朝鮮などアジア諸国、いや国際世論は日本の軍事動向に目を光らせてきた

▼「持たず、作らず、持ち込ませず」。佐藤内閣が67年に表明した非核3原則以降、日本の歴代政権は疑惑を払拭(ふっしょく)するために非核3原則をことあるたびに口にするなど涙ぐましいほどの「弁明」を続けてきた。ところがその努力の甲斐もなく、いとも簡単にパンドラの箱に手がつけられてしまった。安倍官房副長官、そして福田官房長官の核容認発言である

▼とくに、記者会見で安倍発言の内容をただされた福田長官は、「政治論としてはそれはない」といいながら、「理屈から言えば持てるのではないか」と本音を隠さなかった。この発言を解説すると、「政治論」としては「米国が許さないので持てない」。しかし「理屈」は「核武装することは憲法で禁じられていない」ということになる

▼米国が根拠も示さずに朝鮮の核疑惑を問題にした93年当時、専門家たちの間でその意図するところが実は「核武装を企図すると、朝鮮のようになるということを日本に知らしめることにあった」ということが公然と語られた

▼侵略の過去(経験)、経済力(資金)、決定に従順な国民性。日本にその条件が備わっていると米国も判断しているのだろう。常日頃、考えていないことが口をついて出たりはしない。パンドラの箱はすでに、開けられているのかも知れない。(彦)

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