生活相談 きほんの き―6

Q 特別永住資格について教えて

A 居住権ではなく在留の担保


 在日同胞が日本に住んでいるのは当たり前、当然居住権があると思っている方は多いのではないのでしょうか? 事実そのような時期もありましたが、現在はそうではありません。

 在日同胞は1991年、「出入国管理及び難民認定法」(入管法)の特別法として制定された「日本国との平和条約に基づく日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特別法」に定められた特別永住資格によって在留が担保されているに過ぎません。

 居住権に比べ、非常に不安定であると言わざるをえません。 なぜこのような事態になったのでしょうか。今回はその歴史を振り返ってみましょう。

 在日同胞の居住に関する法的根拠を考える時、植民地時代には法的には日本国籍だったので、まがりなりにも居住権はあったと考えます。むろん、「外地籍の二等国民」であった朝鮮人が、内地である日本に来るのは自由ではなく、渡航証明書が必要でした。

 45年の祖国解放によって、朝鮮人は当然外国人になりましたが、日本に住む在日同胞は違いました。

 当時日本に住む外国人は戦勝国民・解放国民だったので、数々の特典と特権が付与されていました。

 日本の指導部は、植民地支配に反感を持つ100万人以上の在日朝鮮人を外国人と認定すれば、大変な事態になると考えたのでしょうか。在日同胞の国籍を、「日本」のまま放置したのです。

 その結果、在日同胞は外国人でありながら日本国籍を持つという不思議な存在、外国人でもなく日本人でもない「第3国人」という立場に立たされました。居住に関しては、植民地時代の延長上で居住権が存在したと考えられます。

 忘れてならないことは47年5月2日、日本政府が「外国人登録令」(外登令)を公布、即日施行したことです。

 日本政府は、当時日本に支配者としての米軍と一握りの外国人しかいなかったにも関わらず、外登令11条で日本国籍のままであった在日同胞と台湾人を「当分の間外国人とみなす」と規定、瞬時に60万人以上の「外国人」を作り出しました。のみならず、在日同胞に対して「お前たちは外国人とみなされた」のだから、外国人登録をせよという暴挙を強要し、今日に至っています。

 そして、日本政府は朝鮮戦争の前年である49年に同法を改悪。外登令に違反し、禁固以上の刑罰を受けた在日同胞を日本国外追放、つまり退去強制の対象としたのです。

 在日同胞の居住に対する決定的な変化は、52年の日米サンフランシスコ条約に始まります。

 日本政府は同条約によって米国の占領から自立すると、在日同胞を「日本国籍を離脱した者」と独断し、居住権をはく奪しました。

 同時に日本政府は、法律126号を制定。在日同胞は「在留資格がなくとも対応する法が出来るまでは在留を認める」としました。その結果、在日同胞は法律126号資格者としての在留をいやおうなしに強要されました。

 以降、在日同胞の居住権は明確に否定され、法による資格に格下げされたのです。

 その後も日本政府は「韓国」との地位協定(65年)による永住資格を強要した時期もありました。

 現在は、冒頭に述べたように日本の植民地支配の犠牲者で祖国解放前から引き続き日本に住んでいる朝鮮人および台湾人とその子孫たちの在留資格は、特別永住資格に一元化されています。しかし、あくまでも権利ではなく資格であることを銘記したいと思います。

 次回は、特別永住資格の内容について解説します。

(チェ・ヒョンギル、行政書士、在日本朝鮮人人権協会会員、同胞法律・生活センター相談員)

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