若きアーティストたち−4

チャンゴ演奏家・講師 具良美さん

芸術にあるまか不思議なパワー


 「ある日、神が降りてきた」と、彼女は言った。具良美さん、28歳。

 幼少の頃から朝鮮の歌と踊りに親しみ、滋賀初中、京都朝高を経て、東京・小平市の朝鮮大学校音楽科に進学。卒業後は、高校生の頃からの夢だった京都朝鮮歌舞団に入団し、歌手として、司会者として活躍した。

 チャンゴに目覚めたのは4年前のこと。「ある日突然目覚めた」という。彼女の言葉を借りると「神が降りてきた感じ」だとか。

 98年からは在日本関西韓国YMCAで、韓国民俗芸術家・金君姫氏に師事、専門知識と技術を身につけた。それから3年間は、テレビを見る間も惜しんでチャンゴの資料やビデオを見ながら勉強に励んだ。

 朝鮮のチャンゴのリズムは実に多様。地域によってリズムが違う。

 「京畿道、忠清道は、馬に乗って軍隊が行進する躍動感がある、慶尚道は8分の5拍子、8分の10拍子と男性的な力強さが特徴、全羅道は…」

 具さんはそのリズムに、まだ見ぬ故郷の土の香りやわき上がる民族の興を感じるのだという。

 結婚を機に歌舞団を退団した後も、チャンゴの演奏は続けている。4月からは京都と滋賀で、朝鮮学校の生徒や同胞らを対象にチャンゴの指導を始めた。

 チャンゴを打つとき具さんは、その昔、朝鮮の先祖がサムルノリ(チャンゴをはじめ4つの民族打楽器による演奏。風や雷を表している)を始めた背景を思い浮かべる。天と地をつなぐ「雨」を農民たちは穀物を育てる恵みの使いとして待ち焦がれ、雨ごいをするため打楽器を打ち鳴らして、「天との交流」を計った。ただ力任せにチャンゴを叩くのではなく、その歴史や意味をも知って欲しいと彼女は願う。

 また、亡きアボジに寄せる特別な思いもあった。具さんが所属する朝鮮舞踊研究所「ナレ」にチャンゴ科が新設され、娘が講師を任されることを誰よりも喜んだのが、ほかならぬアボジだった。初の発表会にも足を運び、娘のためにとチャンゴに関する資料をあちこちから集めてくれた。

 「朝鮮の芸術を世に伝えること、そしてチャンゴを叩き続けることが、アボジの恩に報いることだと思えるんです」と具さんは言う。

 現在も勉強のために通っているYMCAには、総聯系も民団系も、どこの団体にも属さない同胞も、そして多くの日本人も通っている。

 芸術にはまか不思議なパワーがある。「総聯畑」で育ってきた具さんにとっては、カルチャーショックもあった。チャンゴは新しい世界も開いてくれた。

 「(チャンゴを通じて)自分自身のルーツを探してみたいんです。そして、受講生たちともその思いを共有したい」。演奏家として、講師として、技術的にも精神的にも修練を重ねていきたい、と話す瞳は輝いていた。(金潤順記者)

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