閑話休題

桓武天皇と朝鮮

脅迫に屈せぬ学者の気迫


 昨年12月、平成天皇の、桓武天皇と朝鮮の深い結びつきをめぐる発言は大きな反響をよびさました。桓武天皇の生母は高野新笠(たかののにいがさ)。百済の武寧王の子孫であると「続日本記」に記述されている。この問題について上田正昭京大名誉教授が、今発売中の月刊現代6月号に寄稿している。

 上田さんが1965年に出版した「帰化人」の中で、この史実にふれた時は大変だったと言う。「『近く天誅を加える』だの、『国賊上田は京大を去れ』だの物騒な手紙がいくつも舞い込み、これらは今も記念にとってあります」と振り返っている。

 上田さんはこの著書で「帰化人」という呼称には、「朝鮮半島や中国の人に対する差別感があるのではないか」という問いかけを込めた。上田さんは早い時期から「帰化人」という言葉に代わるものとして、「渡来人」という言葉を提唱してきた。現在、日本の歴史学で「渡来人」という言葉が定着したのは、上田さんの功績が大きい。

 上田さんは鋭い人権感覚から在日朝鮮人や被差別部落の問題に積極的にかかわり、その問題意識から、従来の学統を総合する独自の方法で研究を大成した。古代朝鮮、南島文化、神祇と道教、日本神話、部落史、芸能史にまたがる多大の業績をもつ。

 60年代の頃から、古代日本の歴史と文化の究明は、アジアとりわけ東アジアを軽視しては十分に果たすことができない、と痛感。これまで朝鮮に3回、「韓国」に10数回、中国に20回、沖縄には数え切れないほどの足を運んだ。

 朝鮮を正当に評価したいという1人の学者の気迫は、40年の時を経て、いささかも輝きを失っていない。(粉)

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