名山中の名山
「七宝山」を探訪して 〈上〉
李大熙
私は昨年の春、高齢者の祖国訪問団の一員として懐かしい祖国の山河を訪ねた。
ずっと以前から1 度はぜひ訪れてみたいと思っていた咸北の金剛山と称される名山中の名山「七宝山」への観光が実現したのである。 当時の面影を追いつつ、「七宝山」について紹介したい。 訪問団一行は、2泊3日の日程で「七宝山」観光希望者を中心に観光の準備を急いだ。「七宝山」観光団の試みは、在日同胞ではもちろん初めてという説明を受けた。 観光団は11人で構成され、平壌順安飛行場から清津漁浪飛行場に向かって旅立った。 漁浪飛行場に降りた一行は観光バスに乗り、朝鮮随一の名湯、温浦温泉(旧朱乙温泉)へ立ち寄り、源湯の薬漕で身の疲れをいやし、昼食の食卓についた。帰途にも再び温泉を訪ねた。 その後、約2時間の道程で「七宝山」観光道路の入り口に到着した。 「七宝山」観光の案内は、当地の行政機関の金甲成外事課長が担当してくれた。金課長の案内により「七宝山」の内七宝、外七宝、海七宝の順で見学することになった。 私は初めて見る「七宝山」の絶景に驚いた。咸北金剛山と称される所以も理解できた。 私たち一行は、胸中に迫る思いを語りながら感激に浸り、3日間の日程を過ごした。 「七宝山」観光コースを概略してみると、飛行便で平壌から漁浪飛行場まで約1時間20分、漁浪から温浦まで観光バスで1時間30分前後、湯村から「七宝山」入り口まで約2時間を要する。観光バスによる往き来はそれ自体が観光であり、非常に楽しい旅であった。観光関係者によると、「七宝山」観光開発と道路工事の課題は想像だに及ばなかったという。 すなわち当初の工事工程の計画は容易ではなく、険しい山麓を切り開き、しかも自然の景観を損なうことなく、完成目標の厳しい条件が伴っていたという。 かくも難工事が予想される中1996年から98年までの約2年間という短期間に約100キロメートルにも及ぶ観光道路(2車線)が立派に完成されたというからまさに驚きである。 というのは、ちょうどその期間は今まで経験したことのない大干ばつと大洪水が鏡城地方の一帯を襲い、大惨禍に見舞われていたのである。このように大試練の期間でもあった。 咸北道民の2年間に至る観光道路建設のための総力戦は、金正日総書記の96年と98年の2度の現地指導を直接受けて、あらゆる悪条件を克服しながら展開された。 「七宝山」はすなわち咸鏡山脈からやや離れた朝鮮東海岸と相接しており、北側には華成川、西南側には華大川を境界にして1000キロメートル余の広大な地域を有している。 「七宝山」の主峰である上鷹峰1103メートルを中心に四方八方が奇岩、怪石に覆われている。その地形現象は白頭山火山地帯の一部分をなし、時代も白頭山と一致しているという。山を形成する地質年代から見て第3期(500万年前)に当たるといわれる。 その地層の深部には、熱い岩水が噴出し、それが次第に冷めていく過程において固定化され、長い歳月風雨に打たれながら、削り取られたのである。良く観察して見ると、直立体岩、横たわる岩石、競い合う岩石、砂石、砂岩、石灰岩、抜んだ岩石、流石模様の岩石など特異な奇妙感を覚える名勝地であった。 また、「七宝山」は、金剛山、妙香山とは異なる特別な奇岩峻峰と怪石の絶景をなしている。私は名山中の名山「七宝山」の観光を通じて、その不思議なほど強い印象を受けたのである。 要するに百聞一見の如しである。 ここで「七宝山」の由来について紹介したい。すなわち「七宝山」の名は、その山全体が七つの宝物が埋まっていることから名づけられたという。「七つの宝」とは金、銀、珊瑚、瑠璃、水晶、メノウ、白珊瑚。 「七宝山」は高い散抜山脈から海上に向かって、あたかも屏風のように包み込み、その内側に変形万様をなす奇岩、怪石の名勝地であり、あたかも七宝端装をなす屏風の前にうつむいて座っている花嫁のように形象され、文字を持ってしても意が深く、話を聞いてみても思いに更ける「七宝山」その名もまだ麗しく華麗である。 |