在日同胞福祉連絡会祖国訪問団

通い合う思い、今後も交流を


 朝鮮を訪問した在日同胞福祉連絡会訪問団は8日、平壌ホテルで朝鮮の障害者と「朝鮮不具者支援協会」(以下支援協会、会長=チェ・チャンシク保健省次官)職員らと交流した。在日同胞障害者が朝鮮の障害者や支援団体と交流するのは初めて。同じ障害者同士、また障害者を支える家族や支援者同士、それぞれが住む地での障害者施策や障害者の生活実態について意見を交わした。互いに通い合うものは多く、参加者たちは今後も障害者の自立と幸せのため、交流を続けていこうと約束し合った。

壮絶な体験

 朝鮮側からは、83年の西海閘門建設中に落下してきた鉄板で両足を失ったリ・イクスさん(42)夫婦、経済建設現場での爆発事故で両目と両腕を失ったリュウ・グァンマンさん(36)夫婦が出席した。

 47日間、意識不明に陥ったリさんはその間、全土の378人から輸血を受けた。見ず知らずの老人が早期の回復を願ってインサム(人参)などを枕もとに置いていくなど、「多くの人の誠意と励ましのなかでふたたび生を授かった」と熱っぽく語るリさん。その恩に報いたいとの思いから、社会主義建設現場に赴き労働者たちを激励する日々を送る。

 リュウさんの妻、キム・ソノクさん(36)は、失明、両腕切断の障害を負ったリュウさんに自から結婚を申し出た思いを吐露した。当時は研究者だった。家族から反対を受けるなど辛いこともあったが、今は人民のために青春を捧げた夫と希望を持って暮らしていると目を潤ませた。

 交流後、訪問団メンバーと固い握手を交わしていたリさんは、「障害を負っても人間としての尊厳を持って生きたいという思いは同じ。日本に同胞障害者のための組織があると聞き本当にうれしかった」と話していた。

会長は保健省次官

 支援協会からは副会長、書記長、書記の3人が参加し、活動内容を紹介した。

朝鮮における障害者の生活状況について率直に語る支援協会の洪淳元副会長

 医師で朝鮮人口研究所所長をつとめる洪淳元同協会副会長は、朝鮮には元来、盲人同盟などさまざまな障害者団体があったが、80年末から90年代初めにかけての経済事情の悪化のなかで活動を停止。障害者が利用する各種器具の修理工場も稼働率が落ち、障害者の生活に支障をきたしてきたと振り返った。

 95年から障害者問題に対する取り組みが再開され、97年には同協会が設立された。建国初の障害者標本調査を実施し、3000人の支援者のネットワークを作り上げるなど、「一定の前進を遂げ、協会の存在が世界的に知られるようになった」と報告した。

 同協会は国際障害者機構(Handicap International)とも連携し、車イスなど各種器具の効率化をはかるプロジェクトも合同で進めている。

問題提起も

ムジゲ会の活動について報告する申桃順さん

 その後の質疑応答の場では率直な意見が飛び交った。全盲の梁進成さん(36、千葉県在住)は、目の不自由な人がどのように学び、交通機関を利用しているのかを聞いた。また、次女の理紗さんが聴覚障害者の金瑞子さん(51、千葉県在住)は、障害者を「不具者」と呼ぶことについて、「障害者に対する否定的な意識を生むのではないのか」と問題提起した。

 これらの質問に対して洪副会長は、障害者が不自由なく暮らせる環境を整えてこそ「強盛大国を建設したと言える」と述べ、「朝鮮の障害者施策は世界レベルと比べるとまだまだ低い。交通や公共施設にアクセスできるシステムも完備されていない」と現状を率直に伝えた。また、「制度、技術面で立ち遅れている障害者教育や各種施設のバリアフリーを関係機関の協力を得て一つひとつ解決していきたい」「数年以内に障害者保護法を制定し、障害者の生活を豊かにしていきたい」とのビジョンも紹介した。

 また、「不具者」という呼び方については「差別的な側面があると認識している。協会設立時に議論もした」と述べ、障害者保護法制定の際、偏見をなくす的確な表現に変えたいと答えた。

 発言した同胞はこれからも祖国の障害者と交流を続けたいと提案。補聴器や車椅子を寄贈したいとの意見も出された。(張慧純記者)

平壌の汽笛よ、ソウルへ届け/朝鮮訪問記 ― 梁進成

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