ウリ民族の姓氏−その由来と現在(62)

魔術師の田禹治は特異な存在

種類と由来(49)

朴春日


 田氏は稀姓の最上位にあって、本貫は142を数える。

 主な本貫と始祖は、泰山・田寵文(チョン・チョンムン)、霊光・田宗會、延安・田モク、潭陽・田得時で、みな高麗の文・武臣である。

 そのうち、田寵文は高麗の神虎衛大将軍(従三位)を務め、息子の田元均は大学者・李奎報が注目した俊英で、のちに宰相(正二品)となった。ほかに田拱之(霊光)、田禄(潭陽)らの文臣が知られている。

 李朝時代には歴史に名を残す人物が輩出した。まず壬辰倭乱のとき、延安城戦闘で侵略軍を撃退した義兵将・田見龍(牛峰)、漢江防衛戦で奮闘した将帥・田得雨(潭陽)、そして月峰山(平北)で女真族を掃滅した義兵将・田世禄(潭陽)らがいる。また田愚と田秉淳は著名な学者であった。

 特異な存在は魔術師の田禹治だ。彼は友人宅での食事のとき、ご飯をつかんで庭へ投げたが、それが急に白い蝶に変わり、みんなを驚かせたという。

 また、友人が「天の桃は取れまい?」というと、すぐさま絹を天に向けて立て、子供を上がらせた。すると突然、リンゴと子供の手足がバラバラと落ちてきた。

 みんなが肝をつぶすと、「天帝が怒った」といい、その手足をつなぐと、先の子供がニコニコして現れたという。野史「朝野輯要」が伝える話だが、何とも楽しい怪奇談ではないか。

 つぎに具氏である。

 具氏は著姓の中程に位し、32の本貫を持つ。主な本貫は綾城(ルンソン)・広州・驪興・延昌・安山・朔寧・連川・忠州などである。

 綾城具氏の始祖は高麗の功臣・具存祐で、「高麗史」に初めて登場する人物は、太祖・王建が即位した918年、首相格であった具鎮である。

 李朝時代には、綾城具氏出身の宰相が輩出した。それは仁祖王の外戚が綾城具氏と姻戚関係にあったからで、具氏は名門大家として知られた。

 歴史に名を残した人物も多い。「死六臣」と並び称された具人文は、最後まで端宗王に忠節をつくし、のちに吏曹判書を追贈されている。

 しかし具致寛は別の道を歩んだ。彼は王位を奪った世祖王に登用され、文武兼備の名宰相と評された。そして彼の子孫は王族との姻戚関係で栄え、具思孟は領議政に、その子の具淳は宣祖王の信任厚く吏曹判書となった。

 また具淳の子・具宏は、仁祖の政変で一等功臣となり、その子・具インギと孫の具仁垢(イング)も大臣職を歴任している。

 さらに、具鳳瑞は名宰相として、具鳳齢は高い学識で知られたが、特筆すべきは失明した具震柱で、彼の博学ぶりと数千首にのぼる詩作は、人々の語り草であったという。次回は閔氏と楊氏である。 (パク・チュンイル、歴史評論家)

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