春・夏・秋・冬

 連休明けの日本国会で、有事(戦争)法制の実質審議が始まった。日本に住む者として、また朝鮮情勢を特段、その有事と重ね合わせての法制審議だけに、関心がいく

▼以前から、おかしなこともあるものだ、と思ってきた事がある。いうまでもなく、いっさいの戦力の保持を禁じた憲法(9条)が現に存在しているのに、なぜ軍隊である自衛隊が創設され、世界トップクラスの兵力を維持し、年々武装を近代化し、そして今回のような戦争態勢作りなのか、ということだ

 ▼こうした事実を踏まえてか、小泉首相は「憲法9条にはおかしな点がある」というが、それなら「子供だまし」のような拡大解釈、わい曲を重ねるのではなく憲法改正論議を進めるべきではないか。アジア向けには平和憲法、米国向けには有事法制、という二枚舌、カメレオンのような行動はすでに見破られている

▼ボタンの掛け違いに要因があるのかもしれない。今年は、日本の米軍占領統治終結から50年を迎える節目の年だが、これを日本では「独立」と表記する場合がほとんどだ。「独立」とはほかに束縛されたり支配されたりしないことを意味するが、50年前の4月、日本は本当に米国から独立したのだろうか、と大いに疑問である

▼というのは、米国への服従を強いる日米安保条約の締結が条件だった。それが、朝鮮戦争に旧日本軍のノウハウを、そして日本列島を総動員するためのものであったことは、歴史が物語る。いくら何をいっても、米国から「独立」しない限りカメレオンのような行動を取るほか、道はない。(彦)

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