第4回離散家族・親せきの面談(金剛山)

6.15共同宣言の履行を


 【高城発=本社羅基哲、姜イルク記者】4月28日から今月3日にわたり2回、200家族800余人が金剛山で50数年ぶりの再会を果たした第4回離散家族・親せきの面談。今回の面談は、一時凍結していた北南関係を現状回復させ、ふたたび民族同士、共助して6.15共同宣言を履行していくことを確認しあった共同報道文(4月5日)の初めての履行となり、北南関係を全般的に改善し発展させていくための雰囲気がつくられたと言える。そのことを十分に認識してか、北と南の赤十字関係者らはささいな提起にも積極的に対処していた。感激の再会を果たした離散家族らも、6.15共同宣言を履行する道こそ、統一の道であることを確認し合っていた。

民族思う気持ちは一つ

遺志実現した元教員兄弟

 「アボジの遺志どおり2人とも教員になり、分断された国の統一のために生涯を尽くしてきたことは家族の誇りである」

アボジの遺志をつぎ教員になった金容甲、容萬さん

 忠清南道瑞山郡に住む金容甲さん(77)は、22歳の時、朝鮮人民軍入隊(1950年7月)後、大同江で死亡したと伝えられてきた弟の容萬さん(74、平安南道順川市在住)と再会した。

 容萬さんは停戦(53年)後の55年に除隊。大学を卒業した後40数年間、平安南道内の高等中学校で教べんを取った。民族の未来を担う子どもたちに、日帝時代に奪われた言葉と文字を教える教員になれ、というのがアボジの遺志だったからだ。容甲さんも父の遺志通り教員の道を歩んだ。

 「国は分断されていても、民族の繁栄を願う気持ちは同じ」と語る容甲さん。今回の再会は、「国の統一を願う朝鮮民族の気持ちを兄弟、家族とともに再確認し、一日も早く統一を実現させるための原動力になる」と強調する。

 定年を迎え、金さん兄弟は教育現場から退いたものの、民族の繁栄を願う熱い気持ちには変化はなく、話題は統一後の課題にまで及んでいた。

 「南ではコンピューターをはじめとする科学技術の発展に力を入れてきたが、北も今、科学重視の政策を取っている。早く統一して共同で研究を進めれば、世界レベルのものを開発することができる」と容甲さん。

 その言葉にうなづきながら容萬さんは、「本来は昨年10月に会えるはずだった。少し遅くなったもののこうして兄と会うことができたのは、共同報道文の発表によって民族同士、力を合わせて統一を実現させていくことを再確認したからだ。そして、実際にこうやって会って見ると、同じ志を抱いていた。統一を実現させるためにはやはり、6.15共同宣言を履行していかなければならない」と述べていた。

次は京義線に乗って

妻、息子と再会「祖国統一賞」受賞記者

 黄海北道沙里院市に住む金ガンヒョンさん(79)は、ソウルに住む妻の安ジョンスンさん(75)と息子、妹、妻の兄弟たちと会うやいなや、「祖国統一賞」の賞状と勲章を誇らしく見せた。

 戦争勃発までソウルに住んでいた金さんは、50年9月、平壌にある学校で学ぶためソウルから汽車で向かった。当時、ソウルは解放状態にあり、平壌と列車が行き来していた。3カ月後には家に戻ってくると妻、子どもたちと約束しての平壌行きだった。

 しかし、人民軍の一時的な北半部への後退後、ガンヒョンさんはふたたびソウルに戻ることはできなかった。そのまま平壌に止まりその後、金日成総合大学を卒業。こんにちまで約30年にわたって、国の統一のために記者活動を送ってきた。その功労が評価されて95年8月、「祖国統一賞」を授与された。「妻も息子も私が歩んできた道を理解してくれるはずだ」。

 かつて、列車でソウルから平壌に向ったガンヒョンさんは、第1回北南閣僚級会談で京義線鉄道を連結することが確認され、そして4月の共同報道文でもそのことが再確認されたことについて、「鉄道が連結されれば人の往来が増え、和解と団結を成し遂げることになり、引き裂かれた民族をふたたびひとつにつなげる大きな契機にもなる。そのためにも、北南軍事会談は早く再開されるべきだ。そうしてこそ、民族同士の力で自主統一を果たそうという志向性を国際社会に示すことができる」と言う。

 「切断された鉄道を結び、互いに列車に乗ってまた会おう」――次の再会は列車に乗って果たすことを固く約束した金さん夫婦だった。

みなが手結べば統一

三日浦で絆深めた兄と弟妹

 「ここが世界の名山、朝鮮民族の宝である金剛山の三日浦だ」

 「絶景です。兄さん」

 三日浦とは昔、ある王様が日帰りのつもりで遊びにきたものの、その景色に魅せられ3日もとどまったというのがその名の由来だという。そのような大自然の中での再会は、長期間の苦痛を癒し、引き裂かれてきた家族のきずなをふたたび結びつける格好の空間となった。

 咸鏡南道・端川工業大学で教員を務める金成河さん(76)は、朝鮮戦争中の51年10月、生まれ故郷の慶尚北道尚州郡を離れ、平壌の人民経済大学に学びに行って以来、51年ぶりに2人の弟、3人の妹との再会をここで果たした。

 「10年も経てば山河も変わるというが、弟妹たちに対する思いは少しも変わらなかった」と再会の喜びを表現する成河さん。弟妹を連れ三日浦を遊覧、記念写真を撮るなど、満面の笑みが絶えることはなかった。

 そして成河さんは、三日浦の景色を見ながら、こう語った。

 「金剛山を見ずして天下は論じられない、一生に一度は金剛山を見るべきだ、という言葉があるように、金剛山は世界の名山、民族の宝であることは誰もが認めていることだ。にもかかわらず、南の反民族、反統一勢力は、金剛山での面談は(北の)外貨稼ぎのためだと主張し、面談を妨害している。これはわが民族に対する許し難い冒とくである」

 成河さんの話にうなづく弟の金民河さん(民族平和統一諮問会議首席副議長、68)。

 「南では、平和統一に反対する反民族、反統一勢力が一部に存在するが、絶対多数の人が平和統一を願っており、南北の両首脳が初めて合意をみた6.15共同宣言を支持している。今なお分断が続く原因は外部勢力と反統一勢力にあるが、今回、共同報道文に基づいて家族の再会が実現したのを見ると、いかなる力も、統一を阻止することはできないことを証明している。兄弟が手を結ぶように、南と北の民衆全員が手を結べば、統一は必ず実現できる」

 三日浦を背景に記念写真を撮る金さん兄弟。顔いっぱいに笑みがこぼれていた。

統一したら故郷の地へ

空白の月日を埋めた兄妹

 ソウルに住む金ボンインさん(72)は、故郷の慈江道江界市に住む妹のボンミョンさんや弟らと実に56年ぶりの再会を果たした。しかし、不安でいっぱいだったのか、兄妹の間には沈黙の時間が続いた。

 ボンインさんは、徴用で大阪の工場に強制連行された長男が解放後、ソウルに戻ってきたとの話を耳にし46年7月、兄の元へ向った。

 しかし、南の地は米軍の軍政によって混乱のさなかにあり、そして朝鮮戦争が勃発。以来、故郷に住む弟妹の安否すら確認することができなくなった。

空白の月日を埋めた金ボンインさんと弟妹

 それから56年、半世紀以上にわたって違う制度の中で暮らしてきた兄妹だけに、再会直後はどのようにすればその空白を埋め打ち解けられるのか、沈黙が流れた原因だった。

 だが、300年以上にわって金さん一家(慶州金氏)が江界に根を下ろし、これまで民族、家系の繁栄を願い暮らしてきた話、日帝時代、江界での暮らしは貧しかったものの、今は「苦難の行軍」を乗り越え「楽園の行軍」を歩むようになった話、長男、次男を含む南にいる家族も元気で暮らしている話などを交わすなかで、それまでの空白の月日が徐々に埋まり、当初の不安も消えていった。

 こうした過程を経て、長い間、途絶えていた兄妹のきずなを深めていった金さんたち。別れ際には和気あいあいで、再会した時の沈黙が嘘であったかのように会話も弾んでいた。

 「国が統一したら、故郷の地を踏みたい」というボンインさんの言葉に弟妹らは、「そのためには米国と日本が責任を果たし、北との関係を改善して、国の統一に有利な環境を整えなければならない。そうしてこそ、また家族がひとつになれる」と強調していた。

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