春・夏・秋・冬

 連休中、あれやこれやと資料整理をしていると、元共同通信北京支局長の書いた「ニクソン訪中取材回想」という一文に目が止まった。1972年2月、ニクソン訪中時の取材現場の様子をまとめたもので、活字にならなかったエピソードなども紹介されていて興味深かった

▼毛沢東とニクソンとの会談の事実を知らされていなかったソ連(当時)のタス通信支局長の慌てぶりや、米国とたたかいの真っ最中だったベトナム通信記者の「怒り」など、ニクソン・ショックに戸惑う各国の表情が臨場感一杯に浮き彫りにされている

▼日本は呪縛から解き放たれたかのように、米国の後を追って同年9月、当時の田中首相が訪中し国交を実現した。しかし、アジアの一員でありながら、米国の後塵を拝するという、今もって続く米国追従外交の象徴的な例でもあった

▼その後、ニクソンはウォーターゲート事件が発覚して74年に失脚した。田中首相もロッキード事件が原因で退陣した。歴史に偶然は付き物だというが、それにしても偶然すぎる、と以前から思っていたが、その疑問に答えるかのように、次のような指摘があった。「二人は北京との関係を打開した」報復として、米国内の「台湾ロビー」の「わなにはまった」。ウォーターゲートもロッキード事件も、発覚は仕掛けられたものであったという

▼このことで思い出されたのが、90年に訪朝し朝・日国交正常化交渉の道を開いた金丸信元副総理(故人)にまつわる「CIA失脚説」である。真相は闇だが、政治が政治によって動いていないのは確かだ。(彦)

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