「海峡を越えて」―前近代の朝・日関係史―(25)朴鐘鳴

遭難者を互いに手厚く保護

知られないがよくあった漂流譚


海と朝鮮と日本-

 航海では、目的地が近くても、海が荒れに荒れると船の沈没や漂流が起こる。有名な話としては、奈良時代、遣新羅使が遭難死したり、渤海使が漂流の末犠牲者を出しながら日本の、奥羽地方の果てにやっとたどり着いたりしたことなどがある。

 近世に入っては、海運の発達と相まって遭難・漂流も増えてくる。

 たとえば、薩摩藩領内(鹿児島県)に漂着した朝鮮船の例は、元禄11(1698)年12月8日の屋久島から始まって、嘉永2(1849)年9月5日徳之島漂着まで統計22件が記録に残っている。漂着地は風・海流の関係でほとんど島である。宇治群島・吐★(口偏に葛)喇(とから)列島、甑(こしき)島、沖永良部島等々。

 薩摩藩ではそれら漂流者の事情調査のため「朝鮮通事」(朝鮮語の通訳)を派遣し、「全羅道の内珍道と申島」を出て魚を取っていたが「大風にて右の通(とおり)黒島(硫黄島の西)に漂着候、…帆柱2本折れ、楫(かじ)おれ、帆痛み、坊津(ぼうのつ=薩摩半島にある港)にて御調被仰(しらべおうせられ)」うんぬん、という風な確認をしたうえで、対馬藩を通じて帰国させたのである。

 当然のことながら、南九州の日本人が朝鮮に漂着することだってある。

 記録によれば、正徳2(1712)年3月から天保14(1843)年9月までの132年間に217人が朝鮮の各地に流れ着き、釜山の倭館から対馬を経て長崎奉行所に送還され、無事出港地(ほとんど薩摩)にもどっている。最も多人数の送還は、文政7(1824)年閏8月、「対馬侯より朝鮮漂着薩摩の士(さむらい)等62人を送付す」というのがある。どうしてそのように多くの士が漂流したのか、記録に記されていないので不詳である。

 ところで、近世史上、朝鮮から日本に頻繁に漂着した地域は、資料によると、対馬、西南九州、鹿児島、沖縄、山陰などである。それでであろう、対馬、長門(山口)、五島列島、薩摩そして琉球に「朝鮮(語)通事」がおかれていて、緊急事態に対応していたのである。

 さて、以下はほとんど知られていない漂流譚の紹介である。

 朝鮮王朝の下級武官―守門将であった李志恒が慶尚北道寧海に行く用があって、船頭を含め8人で、1756年4月13日釜山を出港した。ところが、激しい横風が吹き荒れて舵が折れ、大海に押し流されて12日間も漂流の末蝦夷(北海道)の西海岸の北に漂着し、アイヌ人の援けを受けながら沿海を南下した。

 5月末に松前藩士に出会い、江差を経て松前に送られ(7月27日)、その地で50日近く藩の保護を受け、その後、江戸に向け出発して9月27日到着した。江戸では、朝鮮外交專担の対馬藩に移管された。そしてその保護のもと、10月初江戸を出、大阪には17日に着き、順路を経て12月14日対馬に至った。

 一行が釜山に無事帰還できたのはほぼ1年後の翌年の3月5日であった。

 彼らは、日本滞在中、厚遇されたようである。松前では藩主が2度にわたって奉行や家老に命じて数多くの物品を彼らにおくり、これに対して李志恒は恐縮しながらも深い感謝の意を表している。

 また、江戸へ向けての道中、松前藩は彼に轎子を用意した。李志恒は奉行に「余、我が国に在らば、轎に乗るに非ざる人なり。…騎馬を定給せば、…亦其だ便にして好し」と辞退したが、奉行は関白(徳川家重)の保護命令もあり、「太守(松前藩守)、式を定め分付(指示)せり。我猝然と(にわかに)擅処する(勝手に処理する)の事に非ず」と言って轎に乗るよう要請した。

 これも好遇と言える。以上は李志恒の著書「漂海録」に見える。

 ところで、幸運な漂流者ばかりではない。

 咸鏡道から、1808年11月、日本の美含郡一日市浜(現兵庫県城崎郡香住町一日市)に漂着した朝鮮人がいて、その文章が残っている(「歴史の窓」参照)。氏名は不詳。ハングルしか知らない漁民のようで、文章も拙(つたな)く、文字も決して達筆とは言えない。一部、仮訳をつけて紹介する。

 「ああ哀しや、父母や弟を考えると…。私は生きているのに、父母や弟は私が死んでしまったものと、昼も夜も痛哭して…涙を流すだろう。…お母さん! 私が死んでしまったと□□□悲しみにくれていらっしゃるだろう。…父母に不孝者となって、数万里も他国に来てしまった、…再会できようとどうして考えられよう」

 以上、断簡しか残らぬが、その歎き、悲しみは十分伝わって来る。この男が無事帰国できたかどうかは不明である。

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 長い朝・日関係史上、海を通路とした人々が遭難・漂流し、地理的に最も近い、日本(或は朝鮮)に漂着する、つまり、「内湖」や近接した海路も、時には恐ろしいよという、これらはそういった歴史の一こまなのであった。(歴史学者)=おわり

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