ゴルデンウィーク
おすすめ歴史散歩
今年もゴールデンウィークがもう間近。子供たちと有意義な休みを過ごして、心と体をリフレッシュしてもらうために、東京と近畿の歴史探訪コースを2カ所紹介する。歴史知識のポイントを頭に詰め込んで、さあ、お出かけを。
東大寺(大仏開眼1250年) 朝鮮3国系の高僧・仏師の貢献大 朝日新聞の「東大寺のすべて展」という見開き特集(4月17日付)を見て驚いた。東大寺といえば、造営に当たった人も、初代住職さんも「オール朝鮮半島出身の渡来人」。なのに、肝心なことを隠して全部、唐やシルクロードとの関連ばかり強調したうさん臭い記述。今年は「大仏開眼1250年 東大寺のすべて」が4月20日から7月7日まで奈良国立博物館で開催される。
奈良の大仏はその大きさからも当時の日本人が想像だにできなかったもの。何しろ熟銅73万9560斤、白銀1万2618斤、練金1万446両、水銀5万8620両……、と膨大な物資と莫大な投資と労役を動員し、完成まで7年もかかった(745〜753)。 大仏鋳造の総監督に当たったのが、大仏師国中連公麻呂。祖父・国骨富は663年に百済から渡来した。大仏鋳造は何度も失敗したが、公麻呂の登場によって、成功し、完成した。百済からの渡来した鋳造技術集団のリーダーと見られている。 大仏殿の建築に腕をふるった総責任者は「従五位下猪名部百世」。新羅系の建築技術者である。 あまりにも大規模工事のため、当時の奈良朝は民衆のエネルギーを大動員するために、一身に信望を集めていた僧・行基をそれまでの弾圧政策から一転して、優遇するようになった。行基は大勢の信者を率いて、東大寺建立に力を貸し、745年、日本最初の大僧正に任ぜられた。父方も母方も百済系。「伝説的ではあるが、父方の祖先は応神天皇の頃、百済から日本に招かれ、日本の学問の始祖と崇められている『王仁』博士」(歴史学者・朴鐘鳴氏)というからスゴイ。 さらに、東大寺の初代別当(寺の総責任者)となった良弁も百済人。このように東大寺の建立も大仏の鋳造も、朝鮮3国系の技術者や高僧たちの貢献を抜きにしては語れないのだ。 創建時の渡来人たちの苦労をしのびながら、奈良国立博物館と東大寺へどうぞ。(近鉄線奈良駅から徒歩で10分)(粉) 旧古河庭園(東京都指定文化財) バラがみごとな和洋折衷庭園 約80種類、170株のバラが咲き誇り、色とりどりの花と優美な香りを楽しむことができる旧古河庭園は、武蔵野台地の南斜面という地形を活かし、北側の小高い丘に赤レンガ造りの洋館を建て、斜面は明るい洋風庭園、そしてその下の低地には優雅な曲線からなる心字池を中心にした和風庭園が配されている和洋折衷の珍しい庭園だ。
洋館前のバラ園には、クレオパトラ、ダイアナ プリンセス オブ ウェールズといった品種名のバラが咲き誇り、日本庭園には、大滝、枯滝、そして大型雪見灯籠が周囲の緑に映えて風情をいっそう深いものにしている。面積約3万平方メートルの庭園には、モミジ、シイなどたくさんの植物が植え込まれている。 もとは陸奥宗光邸だったというこの庭園は、宗光の次男が古河財閥の養子になって、古河家の所有となり、現在は都立「旧古河庭園」として一般公開されている。 陸奥宗光は、近代日本初の本格的対外戦争である日清戦争の仕掛け人。明治政府発足以来、国是化していた朝鮮侵略を政治的、外交的側面で推進した外務大臣で、「国際社会における日本の平等的立場」の追求は、アジアを侵略することによって達成するという、日本の悪しき伝統を確立した人物である。そのことによってのしあがった「明治の元勲」たちの蓄財ぶりも一目で分かる。現在、日本外務省前に陸奥の銅像が唯一建てられているが、これを陸奥の外交伝統を守っていこうという日本政府の決意の表現だと見れば、旧古川庭園の散策も一味違ったものになるかもしれない。(潤) 場所=〒114−0024 東京都北区西ヶ原1―27―39 アクセス=JR「上中里」駅徒歩7分/JR「駒込」駅徒歩15分/地下鉄南北線「西ヶ原」駅徒歩7分 入園料=150円(小学生以下、都内在住・在学の中学生、65歳以上の方は無料) 問い合わせ=都立旧古河庭園(TEL 03・3910・0394) |