ウリ民族の姓氏−その由来と現在(59)
高麗8代王誕生させた蔡忠順
種類と由来(46)
朴春日
まず「沈」という漢字。普通は「沈む」という意味の「침(チム)」と読むが、姓氏の場合は「심(シム)」という。
これは一字異音で、周知の例では「쇠(鉄)金(クム)」と「성(姓)金(キム)」がある。 沈氏は著姓の中程にあって、本貫は63。主な本貫と始祖は、青松・沈洪孚(シム・ホンブ)、豊山・沈満升、三陟・沈東老、富有・沈立仁、全州・沈賢、宜寧・沈文濬で、みな高麗王朝の文・武臣と伝えられる。 とくに青松沈氏は李朝時代、10人の領議政(首相)を輩出したことで有名だが、彼らは大体、李朝の開国功臣・沈徳符の子孫である。 彼の子・沈温と沈會(フェ)も領議政を務めたが、沈象奎は「稀有の奇才」と評された領議政で、貴重な資料集『萬機要覧』12巻を残している。 有名な画家も生まれた。李朝中期の沈克明をはじめ、山水人物画の名人といわれた沈延冑(チョンジュ)、そしてその子・沈師正は花草・動物・山水画の名人で、わけても雉(きじ)や虎の絵などは傑作である。 愛国烈士も多い。壬辰倭乱のとき晋州城防衛で最後まで戦い、矢がつきると北へ2度拝礼して江に投身した沈友信。また「私は祖国のために一命を捧げる。お前は父母を守るために故郷へ帰れ」と弟の沈★(金偏に典)に命じて戦死した沈鐸。そして宣祖王を守りぬき、戦後も国政につくした沈友勝が知られている。 つぎに蔡氏である。 蔡氏は著姓の後半に位置し、本貫は49。主な本貫と始祖は、平康・蔡元光、仁川・蔡先茂、陰城・蔡冲、光州・蔡順★(礻偏に喜)で、みな高麗の高官と伝えられる。 平康蔡氏の族譜は、「五色の聖なる亀が人間になったので、国王が蔡姓を授け、平康伯に封じた」という祖先伝承を残している。 高麗時代の蔡氏を代表する人物は、第7代・穆宗(モクチョン)の治世、中枢院副使を務めた蔡忠順(本貫不詳)である。 彼は危篤に陥った王の遺命に従い、王座を狙う金致陽らの陰謀を阻止し、太祖・王建の唯一の子孫・大良院君を即位させることに成功した。 こうして第8代・顕宗王を誕生させた蔡忠順は、外敵侵入のときも王の身辺を守りぬき、「輔国功臣」として最高官職を歴任している。 平康蔡氏の蔡松年は孝子として知られ、大臣を務めた蔡洪哲は『高麗楽府』に己の歌を残し、蔡無敵は掌楽院の主簿となった。 仁川蔡氏では、秀才の誉れ高く高官職を歴任した蔡寿と、天文と地理、医学と音楽に抜きん出た蔡得沂が知られている。 次回は池氏と嚴氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家) |