コリアンとして生きる(10)


「4月から本名」勇気与えたい/自信と達成感、やりがい得る

専門学校1年  金真由

 群馬学生会で5年間活動してきたが、これは中学・高校生活時代の大半にあたる。気付いた頃には学生会活動が生活の一部にまでなっていた。

 初級部4〜6年の3年間、朝鮮学校に通っていたので、民族に対する知識はそれなりにあった。そのため、当初は学生会活動の必要性をそれほど感じていなかったが、学生会会長を務めていた年上のいとこに誘われサマースクールに参加してみたところ、自分以外の日校生の熱い思いに強い衝撃を受けた。

 本名を名乗りたいのに名乗れない人、学校で差別にあっている人、それを乗り越えた人…など、さまざまな環境の中で生きている人たちと出会った。そして、すべてを分かりきっていたかのようにいた自分がとても恥ずかしく思えた。

 「私は何をやっているのだろう。彼ら彼女らのために何かをやるべきではないのか」――これがサマースクールに初めて参加しての感想だった。

 その後、地元での学生会活動に参加するようになり、数カ月後には役員に抜てきされた。

 役員になってからの活動は、先輩たちの指示通りに動くだけで自立できず、甘えてばかりいた。そんな日々が続く中で、何とかその甘えから脱皮しなければと思い、目標を改め、「新しい群馬学生会」活動を展開することにした。今までの良い所は残し、悪い所は捨て、役員個人の意識向上のための討議を繰り返した。

 基本に据えたのは「自分でできることは指導員には頼らない」こと。そのようにして活動しているうちに、会長職も2期目に入り、イベントの企画、動員を重ねる過程で、会長としての自信や達成感、そしてやりがいを得られるようになった。

 良いことばかりではなく、辛いこともあったが、一生懸命やればやるほど多くのトンムたちが参加してくれるようになり、その喜びが次への糧になった。

 「損はさせないから」。いとこの言ったとおり、経験したすべてがプラスとなり、マイナスになったことなどひとつもない。

 学生会を知らずに過ごしていたら、得ることのできなかったトンム、勇気、考え方、そして朝鮮人であることの喜び。

 4月からは「金真由」という本名で専門学校に通っている。本名を名乗れない学生会のトンムたちには勇気を、日本人には関心を与えられたらと思う。今は昔に比べ、差別などの面ではるかに暮らしやすくなっているが、それが逆に「コリアンとして生きる」ことの大切さを忘れさせている気もする。民族に接することができない日校生はとくにそうだと思う。今後の全国の学生会活動に期待したい。(専門学校1年)

ウリマルは母語、英語は知識/視野も広がりもっと学びたい

専門学校1年  朴洋一

 高校1年の夏に、サマースクールに参加したのをきっかけに、愛知学生会活動に参加するようになったのと同時に、青年学校(朝鮮語教室)でウリマルを学ぶようにもなった。

 サマースクールは、初めて同じような立場に置かれている人たちとふれあい、語り合うことができ楽しかった。

 青年学校には、行ってみて、つまらなかったら行かなくてもいいという軽い気持ちで参加してみた。だが教室の雰囲気がとてもよく、以外と楽しそうだったので、引き続き参加することにした。

 ウリマルの文法は、日本語の文法に似ている。敬語の使い方も日本語に似ていた。学ぶにつれ、話せるようになりたいという気持ちが強くなっていった。そのうち、ある程度の話が聞き取れるようになり、簡単な会話もできるようになると、何だかうれしくなってきた。

 すると、もっと上達したいという意欲も生まれ、朝鮮の歴史や文化についてももっと知りたいと思うようになった。

 すると不思議なものだ。本名を名乗ることについて最初はどうでもいいと思っていたのに、今はその気持ちが十分に理解できる。

 青年学校には、高校を卒業した後も引き続き通いたいと思っている。周りの人とウリマルで話していきたいし、会話が上達すればやっぱりうれしいからだ。生活も大きく変わった。視野も広がった。

 青年学校を続けられたのは、講師の沈朱香ソンセンニムが生徒以上に頑張っている気がして、その期待に応えるべきだと思ったことも理由のひとつだ。

 4月からは英語の専門学校に通っている。英語もウリマルもうまくなりたいが、ウリマルは母国語で、英語はあくまでも知識だという気持ちは忘れたくない。(専門学校1年)

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