ウリ民族の姓氏−その由来と現在(58)

「天降紅衣将軍」郭再祐

種類と由来(45)

朴春日


 郭氏というと、壬辰倭乱のとき「天降紅衣将軍」(天が下した紅い衣の将軍)と讃えられた郭再祐(カク・ジェウ)将軍を思い出す人が多いであろう。

 彼は郭氏の主軸をなす玄風(慶尚道達城)郭氏の出身であるが、郭氏自体は著姓の後半に位置し、52の本貫を持つ古い氏族として知られている。

 主な本貫と始祖は、玄風・郭鏡、清州・郭祥、善山・郭佑賢、海美・郭縄(スン)、鳳山・郭鳳らで、新羅・高麗の高官が目につく。このうち善山と海美の始祖は玄風郭氏の後孫である。

 郭氏一族には、外交使節として活躍した人物が多い。高麗時代、郭元は宋と契丹へ、郭東cは宋と金へ派遣され、それぞれ成果を上げた。しかし倭寇禁圧を求めて訪日した郭麟(清州)は、北条政権の不当な措置によって抑留され、死をとげている。

 また、通訳官として功労のあった郭海龍は、李朝に入って高い官職についたが、李朝中期の郭之元は明への使節に随行して武勇伝を残した。話はこうである。

 李朝の使節一行が明の護衛隊に守られて都へ向かっていたとき、悪名高い盗賊の大集団に襲撃され、閻陽(ヨンヤン)駅の城内へ避難した。だが、あまりにも多勢に無勢、明軍側は浮足立って投降しようとした。

 そのとき郭之元は、逃亡しようとした明兵を捕らえ、「卑怯者は処刑するぞ!」と叫んで彼の耳に矢を突きつけた。これは死刑囚を意味する。

 それに鼓舞された明軍は防備を固め、総反撃を開始した。使節団の軍官たちも片箭(ピョンジョン)、つまり朝鮮独特の短い矢を浴びせ、盗賊らを次々に射倒した。

 そしてしばらく激戦がつづいたが、難攻不落と見た盗賊集団は、ついに攻撃を断念してあたふたと撤収した。

 救援に駆けつけた明軍の司令官は、戦闘のてん末を知り、「今日の勝利は全的に郭通訳のおかげだ。その豪胆さは万の兵力に匹敵する!」と称賛を惜しまなかったという。

 さて郭再祐将軍である。彼は名将・李舜臣将軍と同じく、その武勲談は大変有名であるが、壬辰倭乱が起こると、真っ先に家産を売って資金をつくり、義兵を募って武器を集めた話、また、その愛国闘争には賢婦人の大きな励ましと協力があった話などは、あまり知られていないようだ。

 こうして郭再祐将軍は慶尚道宜寧で最初の義兵部隊を組織し、各地で紅い衣をひるがえしながら侵略軍を撃破し、祖国防衛戦争の勝利に大きく貢献したのである。

 彼の親せきにあたる郭再謙も奮戦したが、郭自防、郭★(ジュン=走偏に氈jらは壮烈な死をとげている。

 戦勝後、朝廷は郭再祐将軍の勲功を讃え、高い官職を授けようとしたが、彼はそれを固く辞退し、山あいの村で静かな余生を送ったという。

 つぎは沈氏と蔡氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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