山積みの課題

介護保険制度発足から2年 同胞介護の現場から


 介護保険制度がスタートし、4月で2年が経った。高齢化、核家族化に伴い、保険料を募って高齢者介護を支えようと発足した制度だが、同胞高齢者に目を向けると、制度発足前から憂慮されていた課題は置き去りにされたままだ。(生活・権利欄に関連記事)(張慧純記者)

助け求める1世

川崎フレンド高麗の姜大和さん(右)は70歳になる尹林吉さんのヘルパー。病院への送迎と家事を担当している(川崎市内)

 植民地時代、多くの朝鮮人が強制連行された日本鋼管が位置する川崎・郡電前。一帯の工場で部品などを作りながら3人の子どもを育ててきた尹林吉さん(70)は夫、次男と3人暮らしだ。

 7年前に脳梗塞で倒れ、体の左半分が麻痺。しかし、自力で生活したいという強い意思でリハビリに励み、周囲が驚くほどの回復ぶりを見せた。

 毎朝まるまった背中を元に戻すため、椅子を手すりにして背中をぐいと延ばす。

 昨年の3月のことだった。いつもの調子でこの「日課」を始めるや、急に頭がボーッとし、後ろにつんのめってしまった。大腿骨を骨折。4回の入退院を繰り返した後、自宅療養したが、「物ひとつ取るのもしんどく」、川崎同胞生活相談綜合センターに電話をかけて助けを求めた。連絡を受けたセンターでは2年前に設立された訪問介護サービス事業所「フレンド高麗」に尹さんをつなげ、同胞ヘルパー、姜大和さん(63)を紹介した。

 姜さんは昨年の6月から週2回、家事を援助したり、病院への送り迎えをしながら、脳梗塞の後遺症が残る尹さんの生活を支援している。

 「同じ同胞だから、越えてほしくない一線もわきまえている。今では何でも言える仲」と尹さん。

 しかし、神奈川県内で同胞ヘルパー派遣を専門にしている事業所はここだけ。あまりにも少ない。

無年金同胞

 尹さんの場合、年金暮らしだが、市内に無年金状態に置かれた同胞も多い。

 無年金の盧末南さん(88)の収入は、市が外国人無年金高齢者に支給する2万円余の福祉金だけ。心臓、肝臓を患い、さらに動脈硬化、治療費や介護保険料を払うと生活費は残らない。

 現在、76歳以上の同胞高齢者は、日本政府の差別政策により無年金を強いられている。生活が困窮している無年金者が保険料を支払えないケースも少なくない。保険料を滞納した場合は、強制徴収、サービスが差止められる。同胞高齢者は、いつ介護保険制度から排除されてもおかしくない「危険水域」にいる。

 川崎市は、65歳以上の高齢者から本来の介護保険料を徴収するようになった昨年10月から福祉金を月額2万円から2万1500円に増額。しかし、このような特例措置を講じている自治体は全国で数少ない。

要は人材

 植民地時代に数多くの同胞が下り立った山口・下関。市内の大坪は、今でも1世同胞が身を寄せ合って暮らすトンネだ。下関同胞生活相談綜合センターの韓朝男さん(48)は大坪の1世を助けたいと、ヘルパー資格を取得し昨秋から介護サービスを始めた。

 しかし、1世の状況は悲惨だった。

 介護サービスを受けるためには市区町村に申請し、要介護認定を受けなければならないが、多くの1世は市役所から通知が届いても字が読めず、通知が届いただけで介護サービスを受けられる、と勘違いしていた。ある夫婦は、保険料を収めることを知らず、1年半分の保険料をいっぺんに払うはめになった。

 こうした例を見るまでもなく、同胞高齢者の間に介護保険制度はまだまだ浸透していない。

 大阪・生野区の共和病院の医療福祉相談室で働く洪東基さんは、制度が始まる前から高齢者やその家族を対象に、介護サービスに関する説明を何度も行ってきた。同胞高齢者が置き去りになる、との危機感からだった。

 日本人とは歴史的背景や生活習慣が違う同胞高齢者。彼らのニーズに合った介護サービスを実現するためには、申請の方法からヘルパーや施設の紹介、そのフォローに至るまできめ細かい対応が必要だ、と洪さんは話す。人材が高齢者介護を支える要になるとの思いから、自身も昨年6月にケアマネジャーの資格を取得した。

 「同胞団体が持つネットワークの力が頼みの綱。その力を生かし、1人でも多くの同胞高齢者が介護サービスにアクセスできるよう橋渡しをしてほしい」

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