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目標は朝高バスケ部インターハイ出場

京都籠球協会康徹洙会長


 朝鮮学校中級部から朝大を通じ、現在に至るまでバスケットボール一筋で汗を流してきた康徹洙さん(46)。バスケットボールを通じて「成せば成る、努力なしではなにもできず」など、数々の人生訓を教わったという。

 バスケとの出会いは初級部の頃、遠距離からシュートを決める姿に、「まるでサーカスを見ているようだった」と当時の興奮を話す。

 朝大バスケ部では2年生から3年間キャプテンを務め、4年生の時、在日選手権で優勝(それ以来、朝大は優勝から遠ざかっている)。卒業後は京都中高の教員に赴任、14年間、監督として中、高級部男女クラブを指導。選手らにバスケの「楽しさ、厳しさ、難しさ」を教え、高級部男子を3回中央大会優勝に導いた。

 現在、在日本朝鮮人籠球協会理事長、京都体協副会長兼京都籠球協会会長職を兼任する康さん。

 まず朝高バスケ部強化を最優先課題に掲げ、協会メンバーらが一致団結。一昨年から府下初級部学生らのミニバスケチーム「チャララ」を結成し、月2回、府立体育館を利用し指導に当たるなど、初級から大学、社会人に至る指導体系を整えた。また、昨年は籠球団、朝高、朝中(京都、舞鶴)、「チャララ」の男女9チームにおそろいのユニフォームを協会で提供、バスケに携わるすべての人の連帯意識を重視している。

 「目標は朝高バスケ部をインターハイに出場させること。そのためにこれからも努力を惜しみません」

朝鮮語版「続・くず鉄一代記」

姜福心さん

 昨年喜寿を迎えた山口県防府市の姜福心さん。2年前に出版した自叙伝「続・くず鉄一代記」の朝鮮語版の準備に取り組んでいる。「着る物は、ほとんど買ったことがないのよ。旅行もいったことがない。でも、家族に私たちが生きた道を残しておきたいから」と執筆への情熱を語る。南北朝鮮に分れて暮らす肉親にぜひ送りたいと語る。

 日本の植民地支配の最中の1924年、全羅南道珍島で生まれた。貧しい暮らしの中で、姜さんが渇望したのは、「学校にいきたい」という一念だった。

 紙も鉛筆もない中で、毎朝、柴をたいた灰の上にそれを小枝で書き、一字一字覚えていったと述懐する。

 事業に成功した姜さんは「わが民族の立ち遅れている部分は、男尊女卑の風潮が強いということだ。女をないがしろにしては、家も国も発展しないということを若い人たちは肝に命じてほしい」と語る。

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