ウリ民族の姓氏−その由来と現在(54)
朝・中の地図作成した羅興儒
種類と由来(41)
朴春日
羅氏は著姓の中程に位置し、46の本貫を持つ由緒ある氏族である。
主な本貫と始祖は、羅州・羅富、比安・羅俊奇、安定・羅天瑞、寿城・羅洪緒、軍威・羅允材、定山・羅承幹、錦城・羅聡礼と伝えられる。 彼ら始祖たちのほとんどは、高麗王朝の文・武官だが、歴史上の人物として筆頭に挙げられるのは、羅州出身の羅興儒(ラ・フンユ)であろう。 彼は学問、とくに歴史学を深めたが官につけず、高麗・恭愍王時代(1351〜74)に寺院建立の監督を務め、その功によって正四品の官職を授けられた。また朝・中両国の地図を作成して名を高め、国王の側近となった。 つぎの辛?王時代、彼は倭寇の侵犯と蛮行を根絶するため、自ら進んで訪日したが、間諜の嫌疑で投獄されてしまった。齢60歳。1375年のことである。 このとき羅興儒の無実を主張したのが僧良柔であった。高麗の帰化僧といわれ、足利幕府に影響力のあった彼の尽力で、羅興儒は九死に一生を得、倭寇禁圧の折衝を成功させた。そして親善使節として訪朝する良柔とともに帰国している。 帰化といえば、高麗末、元から帰化して高麗軍とともに紅頭賊や倭寇を撃破し、その勲功によって「海道元帥」となった羅世は、まさに特異な存在である。 羅級(羅州)は清廉潔白で知られた。彼は権臣・鄭汝立に迎合せず、「その目に大奸あり」と看破して陰謀を阻止した。また外敵撃退でも功臣となったが、晩年は清貧に徹し、あばら家で生涯を終えたことから、野辺の送りには長い葬列ができたという。 李朝の羅得憲(羅州)も硬骨の士であった。彼は李★(シンニョウに舌)の反乱鎮圧で功臣となり。清国との交渉では相手のごう慢な要求と迫害に屈せず、祖国の尊厳を守り抜いている。 羅氏を語るうえで、わが国の民族宗教・大★(人偏に宗)教(テジョンギョ)を創始した教祖・羅普iラ・チョル)を忘れることはできない。 彼は1909年1月、多くの同志とともに、わが民族の原始祖・檀君(タングン)王倹を崇拝する大★(人偏に宗)教を内外に宣布した。 民族愛を基本とする大★(人偏に宗)教が布教されるや、軍国日本の侵略に反対する各界の著名人士をはじめ、広範な人民大衆がこぞって信徒となり、活発な運動を展開した。 しかし軍国日本の朝鮮占領後、初代総督・寺内は大★(人偏に宗)教に対する血の弾圧を繰り返し、多数の信徒たちを虐殺した。それに抗議し、羅浮ヘ1916年8月、日帝の侵略糾弾、大★(人偏に宗)教の死守を訴える遺書を残し、九月山の檀君祠堂で自害している。 こうして大★(人偏に宗)教はその遺志をつぎ、こんにちに至るも多くの信徒を擁し、祖国の自主的平和統一をめざして闘っている。次回は河氏の予定。(パク・チュンイル、歴史評論家) |