立ち退き強制執行の危機にある京都ウトロ問題

代替住宅の提供求める

多くが高齢者

「強制立ち退きは国際人権規約に反する」
などと書かれた立看板

総聯、民団の共同調査団による現地調査(3月22日) ウトロ地区に掲げられた「オモニのうた」

 「ウトロは私たちのふるさと。命です。ここを出れば住む所がない」「なぜ私たちが祖国、朝鮮半島を離れ、ウトロに住んでいるのか、その歴史をいま一度考えてほしい」「家を解体するなら、まず私の身体を解体してからにして。強制立ち退きには命をかけて反対する」――地権者から立ち退きを求められている京都府宇治市伊勢田町ウトロ地区に暮らす在日同胞らは、3月22日の結成と同時に現地調査を行った総聯京都府本部と民団京都地方本部の共同調査団に対して、こう訴えた。ウトロの土地問題は一昨年11月、最高裁判所の上告棄却決定により、住民全員の退去判決が確定。同胞らは立ち退きの強制執行の危機にさらされている。総聯、民団の両団体は今後、同胞らの生活・居住権を守るための運動を共同で行っていく。

戦争時の飛行場建設

 近鉄京都線伊勢田駅を下り西へ徒歩10分ほど、自衛隊大久保基地に隣接する幅100メートル、長さ300メートルの帯状をなした約6400坪の土地がウトロと呼ばれる地域だ。

 第2次世界大戦中の1940年、日本の侵略戦争遂行のために始まった飛行場と格納庫建設に動員された朝鮮人労働者とその家族らが、解放後もそのまま住むようになった。建設は日本政府と国策会社、京都府の3者が推進。約1300人の同胞が動員されたと言われるが、何の補償もされなかった。いまはその家族や子孫ら68世帯(224人)が住むが、うち36世帯が高齢者を抱え、12世帯が独居老人。17世帯が生活保護を受けるなど、生活状況は非常に厳しい。

 過酷な労働を体験したお年寄りたちは、「具合が悪い時などは近所の人が本当によくしてくれる。食べ物をもってきてくれたり、薬の飲み方も手にとって親切に教えてくれたり」「死ぬまでこの地で暮らしたい。地上げには断固反対」だと語る。

 その一方で、「戦争中は飛行場整地のために土を運び、みんな肩に血豆を作って働いていた。そして戦後はここに住めと言われたが、なぜ今になって出て行けというのか。日本人が半分でも住んでいたら、こんなことにはなっていないだろう」「日本政府は加害者の立場に立って戦前・戦後の責任を一日も早く果たすべきだ」とやり場のない怒りに体をふるわせていた。

国連が救済措置勧告

 昨年8月にスイス・ジュネーブで開かれた国連・社会権規約委員会は、日本政府に対し、ウトロ住民を強制立ち退きから救済するよう勧告した。この勧告自体は日本政府に対して法的拘束力はなく、司法判決が無効になるわけでもないが、国際機関が人権に対する重大な侵害であると認めていることを日本市民や国際社会にアピールするきっかけとなった。

 総聯、民団の両団体は今後、同胞たちの生活・居住権を守るために京都府をはじめ行政に対して、住民たちのための代替住宅の提供などを要請するとともに、ウトロ土地問題の本質と現状を日本市民、国際社会にさらに広く伝え、支持と理解を求めていくという。(哲)

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