よりよいウリハッキョを−現場の取り組み−(7)

1世の思い継承し世代交代

北海道初中高 崔寅泰校長


1億円集めた30周年

 昨年、本校創立40周年記念行事の一環として開かれた連合同窓会には、全卒業生1300人のうち600人が参加したことで話題となったが、その土台は10年前の30周年の時から築き上げてきたものだ。

 私が校長として赴任したのは1989年。赴任から間もなくして、1991年に迎える創立30周年をどうするかという話が浮上した。少子化や祖国・民族・組織離れなど、私たちの活動が徐々に困難になり始めた時期。私をはじめ、本部も支部も活動家はほとんど北海道初中(高級部は後に併設)出身だったが、30周年をどのように迎えるかは、北海道の在日朝鮮人運動の将来を左右する問題でもあった。

 そして、とにかく学校のために1億円集めようということになった。募金運動を通じて、北海道同胞の気概を示そうとしたのだ。また記念行事も大々的に行った。初めて開いた大規模な連合同窓会には500人が集まった。この時初めて、90%以上の卒業生の名簿を確認した。当時、中心となったのは主に2世の1〜10期卒業生だ。

 それから1年半後に校舎改築問題が浮上し、集めておいた1億円が大きな力を発揮することになる。どんな日本学校にも負けない立派な教育環境を整備しようと、妥協せず全面的に改築することにした。予算は7億。改築運動は93年から始まったが、ここでもやはり2世が中心となった。

 61年4月、借り物の校舎からスタートした本校。1世たちは同年9月に自らの校舎を建てた。そして71年10月、現在の場所に新たに土地を購入して学校を建設した。さらに東京、茨城、東北の各朝高、朝大建設にも尽力した。

 われわれは、もうこれ以上1世に頼ってはいけない、2世が3世のために学校を建てる時代だということで合意し、改築運動に取り組んだ。結果、竣工式を2カ月前にした95年3月には7億をすべて完済できた。

学校好きな生徒たち

 このような同胞、保護者の愛情と期待に応えようと私たち教職員は必死で努力した。そして、30周年と校舎改築を前後して本校は大きく変わった。

 まず、記念行事や学校改築運動の過程を通じ、子どもたちがハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニのこと、つまり在日同胞と学校の歴史を実感し、自らの立場を深く認識するようになった。また学力も向上、生活態度なども大幅に改善した。

 人数の少ない中で学校の特色を出そうと、ウエイトリフティングやサッカー、バスケットボールなどのクラブ活動に力を入れた。ウエイトリフティングは全国的に有名になったが、サッカーでも昨年、部員が20人しかいないにもかかわらず札幌市の代表にまでなった。NHK青春メッセージなどにも積極的に出場してアピールしている。子どもたちはみなまじめで勉強とクラブ活動に一生懸命取り組んでいる。卒業生が子どもを母校に通わせる確率も比較的高いようだ。

連合同窓会に600人

 こうして昨年、創立40周年を迎えた。30周年の時と違い、経済状況がとても困難な中で迎えた40周年だったが、同胞たちは、校内のコンピューター設備を一新してくれた。そして今回は、30周年の時より1人でも多くの卒業生を集めようと奮闘した結果、連合同窓会には600人の卒業生が参加した。本校では近年、必ず在学中に同窓会の責任者を決めている。こうして集まることこそが、われわれの財産であり未来の財産であるからだ。

 歴史的に見れば、北海道では強制連行で渡日した同胞が多い。つまり、解放を前にした割と遅い時期に若くして日本に連れてこられたケースが多く、他の地方に比べて1世が若い傾向があり、その分、世代交代が遅いという特徴がある。組織を中心に団結力が強いのはこうした背景もある。

 しかし、私たちはそれに甘んじていたわけではない。1世の思いを継承しながら世代交代が進むように先手を打ってきた。10年以上前から、将来的に生徒数が減ることを念頭に置きながら、学校の特色を生かそうと努力を重ねてきた。そしてつねに、「北海道の同胞が何を求めているか?」をキャッチすることに努めてきた。生徒数、財政面…どの学校も苦しいはずだが、同胞の中にどっしり根付いて解決策を探すしかない。解決策は同胞たちの中、そして現場にある。

 40周年の時、私たちが掲げた「ともに歩んできた40年、ともに開いていく新世紀」というキャッチフレーズには、そうした思いが込められている。この気持ちを忘れずにやっていけば、50周年の時も本校はきっと輝いているだろう。

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