コリアンとして生きる(8)


当たり前と思えなかった当たり前のこと/トンムと接する過程で知る

神戸大学経済学部3回生  河忠孝

 朝鮮人が「朝鮮人として生きる」ということは、極めて当然のことだろうと思う。だが、高校まで日本の学校に通っていた私にとって、それは大学入学前までは当たり前のことではなかった。

 そもそも朝鮮人ばかりという環境にはなかったため、「朝鮮人としての『民族性』」をほとんど意識することがなかった。

 幼い頃から、自分が朝鮮人であるということはアボジ、オモニから聞かされていた。そう言われるたびに、なぜ?と考え、悩んだこともあるが、考えてもどうしようもないので、「まあいっか」というぐらいの気持ちしか持てなかった。

 また高校まで、友人に「自分は朝鮮人やねん」と言っても、別段差別されることもなく過ごしてきたし、何ら問題も生じなかった。ただ入試の時、アボジから「1点でもいい点数を取って来い!」と言われた。

 日本の生徒と外国人の生徒の点数が同じになった場合、日本の生徒が受かるということを暗に示唆しての言葉だったのだろう。その時は、「国籍が違うだけで差別されるのか」と考えもしたが、「まあ、しゃあないから1点でも多く取ったるか」と、あまり深くは考えなかった。

 つまり、「自分は朝鮮人である」という意識は持てても、「朝鮮人として『生きる』」というところまでは至らなかったのである。

 しかし、大学という新しいフィールドに入り、さまざまな人と出会う中で、留学同に参加する機会をえ、考えが変わった。

 私にとって留学同は、「こんなに多くの朝鮮人が集う場所なんだ」という印象で、それがとても新鮮だった。本当にいい機会を得たと感じた。

 多くの朝鮮のトンムたちと接する過程で、自分も朝鮮人として「生きることができるかもしれない」「いや生きていくことが当たり前なのかもしれない」と思うようになった。

 そのためには朝鮮語をマスターすることが必要と思い、留学同のトンムから朝鮮語を教えてもらった。

 大学では他の学部の朝鮮語授業を受けようとも考えている。

 こうした心と生活の変化は、朝鮮人であることに対する受け身意識から、「朝鮮人として生きたい」というより積極的なものに変わる過程だったと思う。

 「朝鮮人として『生きる』」ことの素晴らしさを心に刻みつつ、学習面、とくに朝鮮語の習得に努めていきたい。

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