あの時、このひと言


 「朝鮮の関係者たちは異口同音に『日本政府はわれわれに死ねといっているのか』と怒りの言葉を口にしていた。3年間で渡日治療をするというが、日本との間に国交のない朝鮮の被爆者にとっては実現が極めて難しく、絵に描いた餅だ。日本政府は敗戦後の57年間、朝鮮にいる被爆者に謝罪の言葉一つかけたことがない」(朝鮮で新たに1000人近くの被爆者がいることを確認してきた在日本朝鮮人被爆者連絡協議会の李実根会長)

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 「感動の連続。朝鮮青年としてりっぱに育った子どもたちの姿を見て感激した。卒業公演も素晴らしかった。後輩たちが民族教育の代を継いでくれたから今日がある」(54年ぶりに卒業証書を受け取った東京朝鮮中高級学校の前身である東京朝鮮中学校第1期生、李順愛さん)

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 「政治の壁はあっても、草の根の地域交流は可能だ。信頼をひとつずつ築き上げていくことが、子どもたちにとっても大切だ」(今年で28回目を迎えた「2002年日朝教育交流のつどい」で歓迎あいさつをした東京朝鮮第4初中級学校の金龍河校長)

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