あの時、このひと言


 「日本によって連行された時のことを思うと、今でも血涙が出て憤りを抑えられません。私たちにつらい体験をさせた日本政府に謝罪と補償をするよう強く要求します」(1944年7月、軍事基地建設のため強制連行した朝鮮人1000人を乗せた日本軍の徴用船「太平丸」が米軍に撃沈され655人が死亡した事件の、朝鮮で初めて確認された生存者、平壌市在住の黄宗洙さん=75)

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 「朝高卒業生は弁護士になれない、その近道は小・中・高ともに日本のエリート校に通うしかないというステレオタイプを壊したかった。朝高卒でも弁護士になれるんだということを、自分が身をもって示したる!」(大阪朝高卒業生で初めて司法試験に合格した洪太圭さん=26)

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 「教科書で習うだけでは実感がわかなかったが、その時代を実際に体験した人の話を聞くことでリアリティーが出てくる」(1世同胞の聞き書きを行っている朝鮮大学校政治経済学部の科学研究サークル「在日朝鮮人運動論」メンバーの李昌浩さん=3年)

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