東京でコツコツ28回目、日朝教育交流の集い

授業参観、公演などに200人


 「2002年日朝教育交流のつどい」(主催=同実行委員会)が2月23日、東京・足立区の東京朝鮮第4初中級学校で開かれた。授業参観と東京第4初中生の公演、シンポジウムが行われ、都内の朝鮮学校、日本学校の教職員や地域の教育関係者と同胞、市民ら約200人が参加した。

お互い豊かな関係を

200人が参加した「日朝教育交流の集い」

 今年で28回目を迎えた「日朝教育交流のつどい」。都内の各朝鮮学校を会場に、授業参観・生徒の小公演プラスアルファ(シンポや講演など)といった形で開かれているこのイベントは、日本の教育関係者と一般市民らにとって朝鮮学校を知り、理解するための絶好の場となってきた。

 今回もまず、授業参観・校内見学が行われ、初1から中3まで全クラスの授業が公開された。

 続いて体育館で行われた全体会では、実行委員会を代表して在日本朝鮮教職員同盟の具大石委員長があいさつ。「複数のアイデンティティーが存在すること」を教育を通じて伝える重要性について指摘し、このような交流を重ねて世界にその経験を広められるようにしていきたいと述べた。

授業参観や生徒の小公演、シンポジウムなどが行われた

 会場となった東京第4初中の金龍河校長は歓迎のあいさつで、地域交流を積極的に進めている同校の活動をはじめ朝鮮学校の現状を説明。「政治の壁はあっても、草の根の地域交流は可能だ。信頼をひとつずつ築き上げていくことが、子どもたちにとっても大切だ」と訴えた。

 さらに足立区教育委員会の岡田行雄・指導室長が来ひんあいさつ。「授業を参観し、1人1人の子どもたちが明るく楽しそうに学校生活を送っている姿、自国の文化を愛してそれを知ろう、伝えようという思いを大切にしながら生きている姿に感銘を受けた」と述べ、今後も地域で子どもたち同士の交流を深め豊かな関係を築いていこうと呼びかけた。

朝鮮人として堂々と

 東京第4初中児童生徒による小公演、昼食をはさんで2部のシンポジウムが行われた。昼食は、同校オモニ会が手作りした朝鮮の香りあふれるお弁当とトック(朝鮮風雑煮)がふるまわれた。

 シンポではまず、女性同盟中央の梁玉出副委員長が「なぜ朝鮮学校に―オモニの願い」と題して講演した。梁副委員長は、「教育は私たちにとってもっとも重要な権利、もっとも欲しい権利」だと強調。「日本で生まれ育っても朝鮮人として生きていくという私たちの原点を理解してもらいたい」と述べた。

 そして、植民地時代に奪われた名前と言葉を取り戻すために始まったのが民族教育であり、朝鮮人が朝鮮人として堂々と胸を張って生きていきたいという当然の願いをかなえるために朝鮮学校が存在すると強調。しかし、この素朴な願いがかなえられないのが日本社会の現状だと訴えた。

 最後に日本人参加者らに「お願いがある」として@自分の、日本の問題として朝鮮学校のことに関心をA助成金問題に理解をB子ども同士の交流の場を増やして互いに広い世界をC日本学校の人権教育などの場に朝鮮のオモニたちを呼んで活用を――の4点をあげた。

 続くパネルディスカッションでは、同校卒業生の東京朝高3年の梁美麗さん、同校中級部3年の尹成浩さんが発言した。

 梁さんは、12年間の民族教育を通じてよかったこととして◇民族の心の大切さを学んだ◇自分の国、民族の文化を愛する心を持てた◇集団を重んじる生活の中で互いを思いやる気持ちを育んだ◇母国語を身につけその大切さを学んだ――などをあげた。そして朝鮮学校に対する制度的差別について「同じ人間なのに民族の違いを受け入れてくれないのは寂しいこと」と指摘。「同胞社会をひとつに結び、分断された祖国をひとつにつなぐのも母国語だと思う。母国語を守り、これまで培ってきた民族性をもっと育んでいくために朝鮮大学校に進学したい」と将来の抱負を述べた。

 尹君は、「9年間、この学校で学んで自分が朝鮮人だということに誇りを持っている。またつねに友だちを大切にし、互いに助け合い生きていくことの大切さを学んだ。将来の目標は弁護士。在日同胞の役に立ちたい」と語った。

 シンポではまた、都立荒川商業高校定時制教員の長谷川文夫さんが自ら受け持った在日同胞生徒との交流について、また荒川区立瑞光小学校教員の板橋正枝、佐藤由紀子さんが、隣接する東京朝鮮第1初中と重ねてきた交流授業についてそれぞれ報告した。

◇          ◇

 「知り合うことから始めよう」――この日、日本側の参加者から多く聞かれた言葉だ。しかし、在日同胞はずっと日本人の目の前にいた。そして日本社会の一員である在日同胞は、日本人のことを「知って」いた。朝鮮学校の子どもたちをいわゆる「異文化の体現者」としてのみ行われる交流には、いずれ限界が訪れるだろう。「知ってもらう」のはもちろん大切だが、朝鮮学校の子どもたちはそのために存在しているのではない。互いの立場を尊重し、対等に向き合ってこそ、真の交流になる。

 「知り合う」ことの、次の段階が期待されている。

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事