東アジアの新地平2002 変革に向けて(5)

働く女の苦悩を浮き彫り

朝鮮の女性文学で卒論を書いた 朴順姫さん


 この春、朝鮮大学校文学部を卒業する朴順姫さん(21)は、1970年代から90年代までを中心に「雑誌『朝鮮文学』からみる女性作家たちの女性描写について」卒業論文をまとめた。

 今まで共和国の女性文学が、学生の手によって論文化されたことはあまりない。論文執筆のための資料はすべて、朝鮮大学校図書館にある共和国関連図書に頼った。「最初は建国後、現在に至るまでの共和国女性文学全般を扱おうとした」。しかし、朝鮮戦争と戦後の混乱期にあたる時代の資料が大学図書館になかったため、指定範囲を1970年から90年代の文学雑誌「朝鮮文学」に掲載された短編小説に的をしぼった。

朝鮮の女性たち

 共和国で社会主義建設が積極的に推し進められていた1970年代の作品を見ると、職場で積極的に働く女性たちの姿が目立っている。朝鮮戦争後、家族を失った悲しみに明け暮れていた60年代以前の作品との大きな違いである。

 ソン・ヘランの「革命前衛」(1974・6)では、靴工場で働く主人公のヨンヒが、自ら古くなったゴムの再利用法を発見する。しかし、生産実績ばかりを重視する工場長の下、彼女の意見は無視される。その中での彼女の苦悩と人間的な葛藤が描かれている。上司は父ほども年の離れた年輩者。ヨンヒは、道理に合わぬのでは…と悩みながらも、工場長の保守的な態度と観点を批判する。

 カン・ボンレの作品「工場の主人公たち」(1978・9)では、女性労働者クモギの仕事に対する惰性的な姿勢を、同僚の女性班長が非難する、といったシーンが書かれている。

 紡績工場で働くクモギは、他の部署に比べて目立たない自分の仕事にやりがいを感じられずにいた。そんなある日、同じ工場で働く彼女の恋人が、「革新者」として評価される。周囲の者たちは「彼の功労はクモギの支えがあってのもの」とひやかすが、クモギは「私はそんなにバカじゃないわ。私だって堂々と彼と肩を並べる革新者になりたいの、後ろで支えるだけの存在だなんてゴメンだわ。私にだってプライドがあるのよ」と言い放つ。

 男性の後ろ盾ではなく、同等な扱いを受けたいという彼女の強い意志が鮮やかに描かれている。しかし、作業班長のオッキは、クモギが自分の仕事を見下し、情熱を注げずにいたことを察していた。決まった仕事の分量以上を要求されると、いつもデートを口実に帰って行くクモギの無責任ぶりを痛烈に非難するオッキの言葉が印象に残る。

 「私だってプライドのない人は嫌いよ。でも、あなたのはプライドではなく、利己主義だわ。あなたのような人は、自分の名誉のためには働けても、そうじゃないときには働かないものね」

北・南そして「在日」

 家庭の主婦に対する表現も80年代に入るとずいぶん変わってくる。以前は、家庭内の問題や母性のみを強調して描かれていた女性たちが、働く女として、職場で重責を担うキャリアウーマンとして登場する。それは90年代に入っても同様だが、90年代のものはより洗練された感がある。「職場長の一日」(カン・ボンレ1992・8)では、仕事に励みながらも、封建的な夫婦関係の束縛から抜けきれない「キャリア」の苦悩が細かな描写とともに描かれている。

 朴さんは、これらの作品を通じて「ウリナラの人々の生活を知ることができて楽しかった」と話す。祖国で生活した経験のない在日の新世代にとって、同じ時代を生きる共和国の女性たちの姿は新鮮に映ったのだろう。

 「この間、南の女性作家の作品もいくつか読みました。80年代以降は多くの女性作家たちのまぶしいばかりの活躍が見られて、南での女性の社会変革に向けたエネルギッシュな闘いぶりに感嘆させられました」

 北と南、そして日本を見ると、残念なことに日本では「在日の女性文学と呼べるものが存在しないのでは」と朴さんは指摘する。

 今後は、「在日女性を主人公に、小説も書いてみたい」と話す彼女は、「どんな人でも社会と関りを持つことで輝けると思う。男女の性差なく、生き甲斐を持って働ける社会が理想」と話していた。(金潤順記者)

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