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金大中政権が2月25日、誕生から4年を迎えた。残りの任期は1年。その1年に「離散家族の往来、開城工業団地の造成、金剛山の陸路観光が実現できれば」と、金大中大統領は22日の記者会見で語った
▼いうまでもなく、2000年6月の金正日総書記と金大中大統領の対面、共同宣言発表を通じて、この間の北南関係が根本的な変化を迎えたことを否定する人はいないと思う。しかし、南内部に目をやると、実はこの間の変化が危うい土台の上に立ったものであることを思い知らされる ▼先日、都内で開かれたある勉強会。80年5月の光州事件時、当時の全斗煥軍事独裁政権によって内乱陰謀罪などをでっち上げられ死刑を宣告された後、米国の働きかけで同国に亡命することになった金大中の活動を支えてきた友人が、いまなお「国家保安法」の呪縛から逃れられず、南朝鮮社会において公職から除外されている実情を語る研究者がいた ▼その友人の大学同級生たちは次から次へと要職に登用されたが、彼一人だけが取り残されたそうだ。なぜ?と質問すると、「国家情報院の国家保安法違反逮捕者リストの原票に彼の名前がそのまま削除されることなく、記載されているから」だという ▼大統領の側近らにも働きかけて、原票からの削除を求めたが、厚い壁に阻まれて実現しなかった。彼のような存在は、数え切れないという。それもそうだと思った。というのも、10年前までは軍事独裁とのたたかいの連日だったからだ。変化を後戻りさせないためにも、金大中大統領に保安法の撤廃を望みたい。(彦) |