ざいにち発コリアン社会
1世の聞き書きを行う
朝大「在日本朝鮮人運動論」サークルメンバー
孫のような朝大生たちに体験を語る李秀均さん | 李さんの話に熱心に聞きいる学生たち |
民族性を受け継いでいくためには、1世たちの歩んできた歴史を知る必要がある――と、昨年12月から在日1世の聞き書きを行っている朝鮮大学校のグループがある。政治経済学部内の科学研究サークル「在日朝鮮人運動論」を中心としたメンバーたちだ。先日、グループの3人が東村山市に住む1世を訪ね、聞き書きを行った。3、4世の彼らは1世ハラボジの話から何を感じ取ったのか。(社会・生活欄に学生たちの座談会)
ビデオまで用意 西武新宿線東村山駅から徒歩5分ほどのところにある碁会所。朝鮮大学校政治経済学部3年生の李昌浩さん(21)、同2年生の李浩在さん(20)と朴敬男さん(20)の3人は2月18日、ある1世の話を聞くためにここを訪れた。 李秀均さん。慶尚南道咸安郡出身で、今年79歳になる。日本に渡って来たのは1935年、12歳の時だ。先に来ていた父親を頼ってのことだった。 29年に世界大恐慌が始まるまで実家は半自作農だったが、借金の連帯保証人になったために耕作地まで失った父は日本に出稼ぎにいかざるを得なかった……。 そんなエピソードから始まった李さんの話に、真剣に聞きいる3人。ひと言も聞き逃すまいとテープに録音し、必死でメモをとる。ホームビデオまで用意した。 孫のような3人に少しでもわかりやすいようにと、むずかしそうな単語は一つ一つ解説しながら話を進める。例えば半自作農。「営農、自作農がいて半自作農がいる。その下は小作だ」といった具合だ。 日本の植民地時代に尋常小学校で初めて覚えさせられた「豊臣秀吉のうた」の歌詞をそらんじると、学生たちの目は李さんに釘付けになった。「この歌の合唱が始まると、クラス中の目が先生にではなく、朝鮮人である私に注がれた」と、当時の屈辱を思い出しながらとつとつと話す李さん。 日本の植民地下、父親が巡査に殴られても訴える場所がなかった話、くず拾いをしながら生計をたてた話、強制連行されたおじを見舞うために長崎の軍艦島を訪れた話…学生たちにとっては、教科書などで知ってはいたが、実際に体験した人の生々しい話だけに、学校の授業とは一味違ったようだ。 西東京地域に60年以上住んでいるという李さんは、地域の歴史についても詳細に語って聞かせた。 この日の話は2時間半にも及んだ。 資料集の作成も 「教科書で習うだけでは実感がわかなかったが、その時代を実際に体験した人の話を聞くことでリアリティーが出てくる」(李昌浩さん)、「国が奪われたために、父親が殴られても訴える場所がなかったという話が印象的だった」(李浩在さん)、「民族性が希薄化している要因には、亡国の民の哀しみをよくわかっていないことがあると思う」(朴敬男さん)。 聞き書きを始めたのは昨年12月からだ。李昌浩さんはその時に続き、今回が2度目。李浩在さんと朴さんは今回が初めての体験だ。 質問と答えが食い違ったり、たまに聞き取れないテープ起こしに苦労することもあるが、「やりがいのある活動」と口をそろえる。 なぜ聞き書きなのか、その目的について、アドバイス役の政治経済学部の金哲秀教員は次のように話す。 「まず、日本植民地支配の被害状況を明確にし、責任を追求していくための史料を発掘すること。ここには強制連行だけでなく、同化教育など被害全般が含まれる。また、解放前と後の在日朝鮮人運動についても証言が聞ければ。1世だけでなく2世にも対象を広げていきたいと思っている。愛国愛族の伝統を受け継ぐためには不可欠だ」 そして、大切なことは「自分たちのルーツを確認すること」と話す。民族性を受け継いでいくためにも、在日の起点を知ることが大切というわけだ。 学生たちの活動はすべてボランティアで、自ら進んで行っている。学校のカリキュラムをすべて終えた後の活動なので、日曜日をつぶすこともしばしばだ。 今後は西東京、埼玉を中心に10〜12人の1世から証言を得たいとしている。次世代に伝えていくためにも、1冊の資料集としてまとめることも検討中だ。(文聖姫記者) |