よりよいウリハッキョを−現場の取り組み−(2)
立場尊重し信頼築く
新潟初中 李辰和校長
「県民自らの問題」
日本市民らの間で、朝鮮学校や総聯組織に理解のある人とそうでない人たちに真っ二つに分かれるのが新潟という土地柄だ。 そんな中、真の国際化は足もとの問題から解決してこそ実現されるという認識のもとに94年、「朝鮮学校を支援する県民の会」(代表=多賀秀敏・早稲田大学教授)が発足した。「県民の会」は、資格や助成面で朝鮮学校が差別的状況に置かれている責任は政府や自治体を選んでいる県民、市民の側にもあるとして、県内唯一の外国人学校であるわが新潟初中の処遇改善を県民自らの問題として取り組もうというものだ。この7年間、行政への働きかけはもちろん、広く理解を求めていくのが重要だと、学校と地域住民との交流促進にも取り組んできた。 毎年、本校を会場に「日朝文化交流市民の集い」を開き、年末には必ず県や市に陳情している。94年の発足と同時に始めた署名運動では6万5千余人分を集め、わが校について「一条校」に準じた私立外国人学校として各種学校とは区別した処遇をするよう県議会議長に陳情。さらに96年にも98年の本校創立30周年に向けた体育館改築への公的補助を求める6万7千余人分の署名を集めて県議会議長に提出し、知事らにも陳情を行った。昨年3月には県弁護士会に対し、人権救済申立を行っている。各種シンポジウムなども開いてきた。 最近では、より幅広い県民が参加する組織にするための活動、各地の朝鮮学校支援組織と全国的な連携を図っていくための活動に力を入れている。 私は「県民の会」発足の翌年に、新潟初中に校長として赴任した。本校における民族教育権利よう護のための活動は、つねに「県民の会」と二人三脚だったと言っても過言ではない。 発想の転換 支援組織を作ってくださいと、われわれから頼んだわけではない。日本の人たちが自発的に問題提起し、取り組んできた活動だ。だから、われわれの学校のことだからと言っても私たちが主導しようとしてはいけない。あくまでも「県民の会」の運動は彼ら自身の運動だからだ。 こうした認識を明確にして彼らの意志を尊重し、はっきり線引きをしているからこそ、いい形の信頼関係を築けてきたと思う。その信頼関係のうえで、心を開いて例えば財政面でも頼れるところは頼ってもいいと考えている。 他校もそうだろうが、本校にとっても深刻な課題は運営問題だ。いかに切迫感を持ってやるのか。朝鮮学校は私たちの学校だが、地域の学校でもあり、実際に「県民の会」は自分たちの問題としてこの問題に取り組んでいる。私たちが発想を転換し、借りられる力なら日本の人たちの力も借りていこうというのは今や自然な考え方だ。 実際、98年に体育館を改築した時に2千万円を集めてくれたのをはじめ、定期的に寄付金が寄せられる。何かイベントがある際には、「県民の会」に参加している数多くの日本の団体、市民らが広告を出してくれる。困った時には彼らにも打ち明け、正直に問題を提起すれば解決の道が開けてくるというのがこの間の教訓だ。 「県民の会」はわれわれにとって「お客さん」ではなく、学校を支える柱のひとつとなっている。 同胞社会にも好影響 ただし、外の助けを借りるためには、組織の中、同胞社会の中だけで通じる従来式の慣れ合い的なやり方ではだめだ。つねに誰からでも支持を得られるやり方、態勢を整えておかなくてはならない。こうした転換は、同胞の支持を得るうえでもプラスになるはずだ。 「県民の会」と活動をしていて、彼らのような市民運動の方法論から学ぶことは多い。彼らに刺激されて同胞たちの間で権利問題に対する関心が高まった部分もある。最近では、保護者の会と「県民の会」が共同でイベントを開くなど、協力体制が整ってきた。 このような信頼関係を築くことができた根本には、やはり民族教育の正当性がある。それにもかかわらず差別的状況に置かれているという現実、国はもちろん、県や市からも相応の扱いがなされていないわが新潟初中の位置について正しく知ってもらうことができたからだ。ありのままの事実をきちんと伝え、理解してもらえれば、動いてくれる人は当然のように支持してくれるという自信を得た。 「県民の会」の精力的な活動により、県民の間で本校に対する関心は高まり、地域の日本学校とのつながりも深まった。こうした環境は子どもの教育にとってもプラスに働いている。日本学校と交流の機会が増えるなかで本校の子どもたちは視野を広げ、在日同胞としての自分自身についてより深く考え、自負心を持てるようになっている。 |