若きアーティストたち−1

柳純華さん  画家

新しい命の誕生と広がるメルヘンの世界

子育てとの両立も楽しいと話す柳純華さん(32)
2001年夏、次女・鮮芽ちゃんが生まれてすぐ描いた絵

娘2人を描いたイラスト


 幼い少女は空想の世界で遊ぶのが好きだった。漫画を描いては消し、消しては描き…。

 「今思えば、そんな夢見る遊びの時間を思いっきり与えてくれた両親にとても感謝しています」

 アニメ好きの少女を絵の世界へといざなったのが、高校時代の美術の恩師だった。

 「大きいキャンバスに向かって、絵筆を動かし続ける先生のひたむきな姿がカッコ良くて、朝鮮画をやりたいと思いました」

 迷うことなく朝大美術科に進んだ。厳しい指導を受けながら、朝鮮画に惹かれ、魅せられていった。卒業後は母校の茨城朝鮮初中高級学校の美術の教師になった。

 生徒たちに絵を教えながら、その一方で、自分のスタイルを探し続けた。「迷いに迷って…。やはり、小さい時から好きだったイラストを描きたくなって…。その頃は、作品を仕上げるたびに、自分のものという気がしなくて、居心地がよくなかった」。

 発想も乏しく、描けない。「何で描けないの」。もがき、苦しむ日々だった。もやもやした気分が透明な秋の日のように一変したのが、3年前の長女・潤芽ちゃんの出産を前後してからだった。「何か胎内から新しい命の芽が吹き出るような、泉がわき出るような、そんな感じがしたのです。子供が生まれなかったら絶対に分からなかった感覚かもしれません」。

 この日を境にして、次から次からへと作品のイメージが膨らんだ。画用紙いっぱいに広がるメルヘンの世界。絵を描くのが心底、楽しいと感ずるようにもなった。

 「不思議ですね。前は時間がいっぱいあったのに、描きたいものがなかった。今は、時間を捻り出すのも難しいのに、2人の子供がアイデアをいっぱいくれるのですから」

 柳さんは26日から東京・銀座で開かれる第5回女流美術展に出品する作品の製作に追われている。昨夏、生まれた鮮芽ちゃんはまだ6カ月。美術科講師として週3日は教壇に立つので、絵に打ち込む時間がない。となると、やはり頼りになるのは夫の鄭勇銖さん(31)しかいない。

 「学校の教員をしている夫も超多忙。空いている時間は深夜しかありません。子供たちを夫に預けて、夜9時頃から学校の美術教室へ行って描いています。『1、2時間程出かけてきます』と言っても、帰ってくるのが午前3時頃になる時もあります」

 初級部から高級部まで12年間、その後教員として10年間、約20年もなじんだ母校の教室。夜のしじまの中で、絵筆を動かす時、底冷えの寒さも、外の闇も気にならない。

 「作品を仕上げる突き上げるような喜びで、つい夢中になりすぎてしまいます」

 4月からは出産・子育てで中断していた「オモニたちの美術教室」の講師の仕事を再開しよう思っている。「閉じこもっていたくないですね。色々な人と出会い、触れ合って、街の風に当たって、時代の息吹をいつも感じていたいと思います」

 今、心痛めるのは祖国に向けられたブッシュの「悪の枢軸」発言。アフガニスタンへの空爆の凄まじさも記憶に生々しい。生まれたばかりの瑞々しい命と向き合う時、その凶暴さ、残酷さに心が凍る。「誰かあの男を止めてくれ」と叫びたい心情になると言う。

 いつかもっと柔らかな表現法を身につけて、人々の心が安らぐ、朝鮮の童話を描いてみたいと心に期している。(朴日粉記者)

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