女のシネマ
アレクセイと泉
村びと支える命の水
原発事故を境に、村の全ては放射能に汚染。長い間耕してきた大地、畑のジャガイモ、茸の採れる森も。しかし、唯一、放射能の検出されないものが村の中心にあった。 それは泉。水汲み、洗濯など生活の場として、季節や人生の節目の祈りの場として、手作りの十字架やイコンが奉られてあった。 泉を中心に営まれる村の生活には、原子力による恩恵など何もない。畑仕事と家畜の世話が基本の自給自足の暮らし。働いて、食べて、年をとる―この根源的な生の味わいが、四季折々の暮らしからにじみ出る。 収穫祭に興じる人々になごまされ、泉の洗濯場の木枠作りに発奮する平均年齢70歳の老人たちに、年を重ねることの値打ちを見る。 何より、アレクセイの語りがいい。朴訥だが柔らかく、深い温かみがこもる。水汲みやコンバインの運転など、村の力仕事を一手に引き受けるアレクセイ。小児マヒの後遺症の残る肉体は、日々の労働によってむしろ逞しく鍛えられて頼もしい。彼が村を出なかったのは「泉の水が僕の中に流れ、僕を引きとめている」からと。 村人の生活を支える命の水は「百年の水」として親しまれ、人々を結びつける心の拠り所として存在する泉。人間の愚かさ、罪をも受け入れるかのようにこんこんと湧き出る泉が、見る者の心にも浸み入る。104分。BOX東中野。(鈴) |