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朝鮮人は朝鮮人として自分らしく生きて
なぜ子供をウリハッキョに?―呉清江
何が1番大切か考えた結果
子供をウリハッキョ(朝鮮学校)に送るようになってから5年。その間、いろんな人から、「どうして子供をウリハッキョに通わせているの」と質問されます。 私たち夫婦が日本の学校しか出ていないというのも、質問をする人の好奇心をそそるのか、朝鮮人、日本人、親類、友人、まったく初対面の人、とにかくさまざまな人から、「なんで?」とよく尋ねられます。 でも、質問をされても、どこから説明すればいいのかわからず、言葉足らずになったり、一人よがりになったりで、うまく自分の思いを伝えることができません。 実際、私が子供をウリハッキョに通わせている理由を考えると、私や夫が30数年間、よくも悪くも朝鮮人として生きてきた道のりを顧みて、自分の子供にとって何が1番大切なのかを考えに考えた結果なので、そのたびにさまざまな思いが交錯して、そうすらすらと話ができないのです。 文章にしてしまえばその「理由」は簡単です。 子供たちには朝鮮人として生きていってほしいから、ウリハッキョに通わせているのです。 朝鮮人が朝鮮人として生きていくことは、自分が自分らしく生きていくことと同じことで、とても自然なことです。 私たちが考えた子供にとって1番大切なこととは、自分の出自に対してひけめを感じることなく、気負いを感じることもなく、朝鮮人であることを当たり前のこととして生きていける人間に育ってほしいということでした。 こういうと、「そこまでこだわらなくてもいいんちがう。日本で生きていくのに」と言われます。 もちろん、私や子供たちはこれからもずっと日本で暮らしていくでしょう。 私たちが暮らす日本社会は、あふれる情報と物に人々が翻ろうされています。複雑で不公平で、多様な価値観・個性という言葉のもとに、ゴマカシがまかり通っている社会です。 そんな社会の中で、しっかりとした自己を確立していないと、自分の人生の意味や幸福を追求することができないのではないでしょうか。 祖国の状況、自分の事として 朝鮮人である子供たちがしっかりとした自己を確立するということは、しっかりとした朝鮮人としてのアイデンティティーを持つということです。 私は子供たちにこんな朝鮮人になってほしいです。 祖国にあこがれ、南北を問わず祖国の置かれている状況を、他人事ではなく自分の事として喜びまた憂い、在日の強いられた過酷な歴史を胸に刻み、1世のハラボジ・ハルモニ、家族や親類、トンム、トンポ(同胞)を慈しみ、育った日本の国も理解し、いつどこでも朝鮮人としてふるまえる人間になってほしいです。 そして、もちろん母国語であるウリマルで、自分の意思を明確に主張できる朝鮮人になってほしいのです。 後悔したことは1度もない 子供たちをこんな風に育ててくれる場所はウリハッキョしかありません。 こういうと、「でもウリハッキョはなぁ…。いろいろ問題があるから」と言われます。 私たちの子供は幼く、長男がやっと初級部3年生で、はじめにも書いたとおりウリハッキョとのつきあいはまだ5年です。学校の選択を変えなければならないほど決定的な問題がウリハッキョにあるのか、これからどんなことが待ち受けているのか、今の私にはわかりません。 でもこの5年間、成長していく子供たちの姿を見て、「ウリハッキョにいれてよかった」と感無量になったことは数えきれず、「こんなことだったら…」とウリハッキョにいれたことを後悔したことは1度もありません。 情熱あふれる先生方や、自己犠牲をいとわずウリハッキョを支えてくれているたくさんの人々に感謝し、ただただウリハッキョを取り巻く環境が少しでもよくなるようにと願うばかりです。 3学期も終わりに近づきました。 西播朝鮮初中級学校(兵庫県)ではもうすぐ学芸会があります。どんな学芸会になるのか、いまからとても楽しみです。(オ・チョンガン、兵庫県在住) |