西東京朝鮮第1初中と「多磨全生園」元患者らが交流

芸術公演と講演


明るく元気いっぱいの公演
 西東京朝鮮第1初中級学校(立川市)の児童、生徒ら約200人が2日、40人の同胞ハンセン病元患者が暮らす東京・東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」を訪れ、芸術公演を披露して元患者らの講演を聞き、交流を深めた。西東京地域のセンターを束ねる西東京同胞生活相談綜合センター連絡会が主催したもので、公演には、園内にいるすべての元患者と職員、近隣の住民に参加を呼びかけた。療養所のある東村山市を管轄する東部センターでは毎年、「愛の募金運動」で集めた義援金を届けてきたが、このようなイベントが行われるのは初めて。同胞元患者らの長年の要望だったという。

「かわいい、かわいい」

「かわいいね、かわいいね」。生徒たちに拍手を送りつづける元患者たち

 「かわいいね、かわいいね」

 初級部舞踊部の児童たちがスパンコールをちりばめた衣装を身にまとって舞台に登場するや、元患者たちは身を乗り出し、拍手と歓声を送った。

 公演30分前から会場に来て準備する子どもたちの姿を見守っていた朴守連さん(76)は、「本当にうれしい。先立った同胞たちにも見せてあげたかった」と目を潤ませた。

 生徒たちは朝鮮舞踊、民謡メドレー、カヤグムの重奏、チャンセナプの独奏など1時間にわたってさまざまな演目を披露した。

 元患者の安述任さん(77)は、子どもたちの姿に「民族の誇りを感じた」と語り、全国の同胞ハンセン病元患者らを束ねる在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟の金奉玉委員長(75)は、「心が洗われすがすがしい気持ち。辛いことが多い人生だっただけに生きててよかったと思う1日だった」と感激していた。

キムチをプレゼント

 公演後、同胞元患者を代表して金相権さん(73)が講演。ハンセン病元患者らが歩んできた道のりについて語った。

 金さんは、日本政府の誤った政策によって元患者たちは家族と離れ、療養所に強制隔離させられたうえ、子を生むことすら許されなかったこと、また強制隔離を定めた「らい予防法」が約1世紀もの間生き続けたことで、元患者たちの苦しみと社会の偏見はよりひどくなったと述べた。

「家族から裏切られたのになぜ生きてこれたのですか?」

 質疑応答で初級部5年の任芝央さんは聞いた。「家族にも見放されたのになぜ人を信じられたのですか」。

 子どもたちにとっては家族から裏切られた元患者の境遇が衝撃だったらしく、別の児童も同様の質問をしていた。

 金さんは家族から縁を切られ、天涯孤独の元患者も多かったが、家族たちも辛かっただろう、それは法律によってハンセン病に対する差別が助長されたからだと答えた。

 金さんは元患者同士、互いを信じなければ、療養所の中もめちゃくちゃになっただろうと述べ、「人間が人間を信じなければ生きていくことができない。信じることによって相手も信じてくれる」と語った。

 講演後、子どもたちは激励のメッセージを寄せた色紙を元患者たちにプレゼント。また会場では女性同盟西東京本部のメンバーが漬けたキムチも配られた。

 最後に子どもたちにあいさつした金奉玉さんは、「祖国への思いを胸に亡くなった同胞を忘れず、偏見をなくすため頑張って欲しい」と託した。

 昼食後、子どもたちは3000体の遺骨が安置された納骨堂へ行き献花。また園内にあるハンセン病資料館を観覧し、ハンセン病に対する偏見、差別とたたかった人々の歴史を学んだ。

 初4担任の宋日蘭教員(55)は、「子どもたちにとっては初めて体験する世界だっただろう。体験こそ成長の糧。貴重な経験を積んだと思う」と話していた。

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