東アジアの新地平2002 変革に向けて(4)
平和願う若者たちに強い関心
731・細菌戦展示会で講演した 松野誠也さん
昨年12月、東京・中野のなかのZERO西館で「731・細菌戦展示会」が開催され、多くの人が会場に足を運んだ(21〜26日)。同展示会は、中国人原告団を迎えて行われた731細菌戦裁判(12月26日・東京地裁)に向けて、日本による細菌戦(生物戦)の事実を伝えるため行われたもの。会場では約70点のパネル展示のほか、関連ビデオの上映、西川重則(平和遺族会全国連絡会事務局長)、西野瑠美子(ルポライター)さんら16人による講演会などが催された。
細菌兵器使用の事実 講演会で「『澤田日誌』から見た浙かん(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦」について講義した明治大学大学院博士課程の松野誠也さんは、細菌戦を巡る戦争責任が誰にあるのかをひも解きながら、「細菌戦は参謀本部作戦課の主導で強行」したこと、部隊では莫大な資金を投じて研究・開発していた新兵器である細菌兵器に大きな魅力を感じていたし実戦使用については参謀本部(大本営陸軍部)の指示があったこと、即ち「昭和天皇の名の下に細菌戦が行われた」ことを指摘した。そして、日本政府がいまだ細菌戦の実施と人体実験、致死性ガス使用について否定し、これら関連資料を隠していることに対して「事実関係を究明するには、資料の全面的な公開が不可欠」だと主張した。 日本は1940年に浙江省の衢州市・寧波市で、翌41年に湖南省の常徳市でいずれもペスト菌を投下し、42年には浙江省の江山市などにコレラ菌などを散布。少なくとも数万人の中国住民を殺害した。細菌兵器の使用は、当時の国際法でも禁止されていた戦争犯罪。しかし、731部隊の石井四郎ら細菌戦の責任者は、実験データをアメリカに提供することによって、戦後、東京裁判における訴追を免れた。そして日本は、今も細菌戦を行った事実を隠し通し、謝罪と賠償を拒否している。 会場を訪れた中国人原告団の張礼忠さんは、当時の写真と自身が描いた絵を見せながら「日本軍の爆撃により、町は焼き尽くされ、身内の3人はペスト菌によって悲惨な死を遂げた。父と祖母はそのショックで精神を病んで死に、生き残った自分と母親も乞食同様に暮らしてきた」と涙ながらに訴えた。 若者たちの反応 9月11日のNY同時多発テロ事件以降、炭疽菌や細菌戦に対する関心が高まったこともあり、会場には若い人たちの姿も目立っていた。実行委員の増田博光さんは「中国人だけではなく、朝鮮戦争のときには朝鮮の民衆を無差別攻撃し、多大な犠牲者を出した細菌戦は、人類にとって重大な脅威。地道な活動を通じて、兵器廃絶の方向へと導いていきたい」と話した。 小泉首相は先の年頭記者会見で、日本への武力攻撃を想定した有事法の必要性を強調した。日本は、過去の戦争の責任も取らず、今また米国の意のままに戦争態勢を構築しつつある。 会場入口に置かれていた投書箱には、若者たちの感想文が数枚入れられていた。 「証言者の方の意見が胸を刺すようでした。ここへ来るまで私は細菌戦を知りませんでした。小、中、高校の教育で全く触れていないからです。日本が中国や朝鮮に残酷なことをしていたという事実がある以上、どんな日本人もその事実を知り、考える必要があると思います。平和という言葉を軽く口にする若者は最近多いですが、本当に平和を願うのであればこうした事実を知るべきだと思います」 「細菌戦があったということを初めて知りました。日本は原爆を落とされたので、被害者意識が強くあると思います。しかし、アジアで戦争によってたくさんの不幸があったこと、同じような被害を日本は受けているのに、何故このような事実をもっと公にしないんだろうと怒りを感じます。日本が責任をとらないのはいけない。絶対。責任をとった上で、同じ思いをした人たちもこの国にはいるわけだから、協力して、不幸のない世の中にできたらなぁと思います」。若者たちの平和への熱い思いが伝わってくる。(金潤順記者) |